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院長コラム

喪失との向き合い方

2022年8月6日

喪失との向き合い方

第37号:2022年8月号

2018年8月に父が他界しました。あれから4年が経ち、昨年秋には母も逝ってしまいました。父は病気療養中だったのですが、母とは予期せぬ突然の別れとなりました。母の推定命日は、奇しくも私の誕生日、「忘れないで!」ということなのでしょうか。コロナ禍で2年近く会っておらず、会いに行く約束をしたわずか3週間前のこと、もっと早くと悔やまれました。そして、母の急逝後1か月も経たないうちに祖母(母の実母)も逝ってしまいました。悲しみにふける間もなく、日々仕事や生活に追われてしまいます。一緒に暮らしていなかったから、また会えるのではないかという錯覚に襲われることもあります。この4年間に、小児科の恩師、お世話になったドクター、知人、11歳と19歳の愛猫達との別れがありました。

 母の葬儀に、伯母(父の姉)が札幌からわざわざ参列してくれました。伯母に会うのは30年以上ぶりだったのですが、「いつもお父さんがあなたのことを話していたから、久しぶりに会う気がしないわ。」と言われて涙がとまりませんでした。4年経ってもまだ、父の死すらも自分の中で受け止めきれていない現実に気づかされました。生前ふらりと電車で遊びに来ていたから、今も最寄り駅で似たような背格好の高齢男性を見かけると、(父のはずがないのに)おもわず何度も振り返ってしまいます。娘のお弁当作りをしながら、母もよく仕事から帰ってきて急いでお弁当を作って塾に届けてくれたなとふと頭をよぎることがあります。あの頃の母は今の私より随分若かった、一体どんなことを考えていたのかしら?もう聞く由もないのですが・・・。小児科医としての礎を築いてくださった恩師との別れもまた、心の支えを失い空虚感に苛まれました。長く一緒に暮らした猫達との別れの後は、ふいに部屋の隅から「ニャー」とでてくる気が

してしまいます。

人は大切なものを失った時、どのようにしてその喪失感と向き合っていくのでしょうか。無理に受け入れる必要も、乗り越える必要もないのかもしれません。抱えたまま生きていくのも、自然なことだと思うのです。ふとした瞬間に想いだし、失った悲しみと、共に過ごした大切な思い出の入り混じる複雑な感情の海に、そっと身を委ねて漂っていたいのです。

 心の中では、これからもずっと生き続けているのですから・・・。

お盆に向けて、みなさんも今は亡き大切な方と共に過ごした時を、そっと想い返してみてください。

人と違うことを恐れない

2022年7月23日

人と違うことを恐れない

第36号:2022年7月号

 「隣の芝生は青い」「無いものねだり」とはよく言ったものです。つい自分のお子さんと他人のお子さんを比べて、このような状態に陥ってしまうことはありませんか。友達が多く活発で、ランドセルを置くと宿題もせずに遊びに行ってしまうお子さんだと、いつもおとなしく穏やかなお子さんが羨ましく思えますし、逆もまたしかりでうちの子もっと社交的になって欲しいなと願うものです。その他にも足の速い子、勉強ができる子、ピアノが上手な子を見ては、うちもああいう才能があったならば・・・。

また、親子といえども当然気質は違います。こういう時は普通こう考えて、こう行動するでしょと親御さんが思うことと、お子さんが全く違うことをした時に、著しくイライラするのは期待と現実のギャップが大きいからです。もちろん、道徳的・倫理的・法的におかしいことをした際はきちんと叱らないといけませんが、そうでなければ本来違っていて当然です。もともと違う人格なのですから。

最近は小学校の授業でもディベート(討論)があり、一つのテーマに関して肯定派と否定派に分かれて討議することや、ペットを飼うなら犬派か猫派かといった正解はないが、各々のプレゼンを通して意見を分かち合ったりしているようです。違いを受け入れて認め合うこと、お互いを尊重し合うこと、これは家庭の中でもとても重要なことではないでしょうか。そうやって育てられたお子さんはきっと、学校でも社会でも相手と自分との違いを認めて、共存できるはずです。また自分が人と違っても不安にならず、自己も肯定できるのではないでしょうか。

個性や才能は本当に人それぞれです。他人のお子さんを羨む前に、また自分と違うことにイライラする前に、ご自身のお子さんの素晴らしさをじっくり観察してみませんか。おとなしいと思っていたけれど、意外にしっかりと人前で意見を言えていたり、我慢強かったり、めげなかったり、絵が上手だったり、読書が好きだったり、よく人間観察していたり、きちんと挨拶ができていたり、日常の忙しさの中で見落としているお子さんの才能を、どうぞこの夏発掘してみてください。金銀財宝お宝はまだまだたくさん眠っているはずです。

 恐れることなかれ、人と違って当たり前。素晴らしい人格を認めて、尊重して、秘めた才能を伸ばしてあげましょう。

どうして勉強しないといけないの?

2022年6月18日

どうして勉強しないといけないの?

第35号:2022年6月号

「勉強しなさい。(宿題しなさい)」は、「顔を洗いなさい。」「歯磨きしなさい。」と同じくらい、日常的な会話に組み込まれているのではないでしょうか。長らく生きている大人からすると、勉強した先の未来を想像することができるため、つい口をだしてしまいます。ただお子さんにとっては、目の前のやるべき勉強と将来は直結しません。それは、将来の夢があるなしにあまり関係はありません。もちろん明確なビジョンがあって、自らこつこつ学ぶことのできるお子さんもいますが、非常に稀です。

「どうして勉強しないといけないの?」の問いかけに、親御さんはなんと答えますか。私なら、「人生を豊かにするため。」「幸せな人生を送るため。」と答えます。幸せの価値観は人それぞれ違うし、勉強ができなくても幸せにはなれるはずという反論が返ってきそうですが、勉強=学びです。

よく算数の問題なんて日常生活に何の役にも立たないから、やりたくないとなります。実際には、算数の問題そのものが直接的に社会で役立つわけではなく、算数(数学)の公式や数学的な発想は、何か問題が生じた際に、それを理論的に考え、感情的にならずに冷静に判断し解決するための思考力が身に付きます。理科や社会や国語もそうです。歴史を知り、地理を知ることで旅行は数倍楽しくなります。生物や地学や化学を知ることにより、世の中の自然現象をより深く理解することができます。漢字やことわざ、慣用句を知ることにより、多くの本を読み、他人の気持ちを思いやることにも繋がります。勉強すること(テストの点数を上げること)自体が目的ではなく、学ぶことにより得た知識や思考力によって、よりよく生きていくことができると私は思います。

また、人生の選択肢が増えます。どの分野に行くにしても、進みたい道が決まった時に迷わず踏み出せる勇気にもなり、それを叶えることができるからです。お子さんにだけ勉強を強いても、なかなかやる気スイッチは入らないものです。大人も日常的に学んでいる姿勢を見せて、時には一緒に机に座って「今学校でどんなことを勉強しているのか教えて!」と聞いてみる。過去に親御さんが、勉強ができたかどうかなんて関係ありません。今から新しいことを一緒に学んでいこう、人生を豊かなものにしていこうという発想が大切なのではないでしょうか。

共に学び、成長する。幸せな人生を歩むために、だから勉強は必要。

自分の顔に責任を持つ

2022年5月10日

自分の顔に責任を持つ

第34号:2022年5月号

 生涯数々の名言を残したココ・シャネル。その中でも、私が好きな言葉に「Nature gives you the face have at twenty. Life shapes the face you have at thirty. But at fifty you get the face you deserve.  20歳の顔は自然からの贈り物、30歳の顔はあなたの人生、でも50歳の顔はあなたの功績。」というものがあります。

 何を隠そう(隠していませんが)、私も2025年には50歳になってしまいます。若さという自然な美しさの顔。様々な人生経験を積んで内面的にも成長して作られた顔。最後はその人の生き様や蓄積された価値そのものが表れてくる顔。

「顔」にはいろんな意味があります。いわゆる目・口・鼻がある部分、顔立ち(彫りの深い顔)、表情(浮かぬ顔)、顔ぶれ(顔をそろえる)、体面や名誉(顔をつぶされる)、知名度(なかなかの顔だ)、代表するもの(日本の顔だ)、姿(顔をのぞかせる)等、身体的な部分を表すのみならず、その人自身や組織を表す意味でも広く使われています。

今みなさんはどんな顔をしていますか?お子さんを怒ってしまった直後の顔を鏡で見たら、きっと鬼のような形相のはずですよね(笑)。疲れて、ひどく落ち込んだ時は口角が下がり、顔色も悪く、表情も硬いことでしょう。逆に楽しい時間を過ごしている時は、無意識に笑顔になっているはずです。そう、顔は私たちの日常や内面を面白いくらいに表わしています。日ごろから感じていることや、考えていること、口に出す言葉も含めて、そのひとつひとつがその人の顔を作っていくのではないでしょうか。そうであれば、できるだけ口角を上げて、穏やかで楽しい気持ちで日々過ごしたいものですね。その積み重ねがきっと5年後、10年後のみなさんの顔になっていくのですから。

自分の顔に責任を持って生きたいものですね。

二分の一成人式

2022年4月7日

二分の一成人式

第33号:2022年4月号

 「私は、子どもの病気を治すことのできる人になりたいです。理由は、5歳の時医師であるお母さんが、患者さんが苦しそうな時に、冷静に話を聞いて診察していたのを見て憧れたので、子どもの病気を治すことのできる医師になりたいと思いました。また手術等をする外科医ではなく、人とコミュニケーションがとれて、言葉で通じ合える医師になりたいと思います。そのために今できることは、いろいろな勉強をして、人とコミュニケーションをとって優しい気持ちを作っていくことが大切だと思いました。これからもそれを達成できるようにがんばりたいと思います。また私の好きな名言は、“聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥”です。これからもいろいろな人にいろいろなことを聞いて成長していきたいです。」

震災の年に産まれた10歳の娘が、先日学校の参観日(オンライン)で発表していました。リアルタイムで観ることはできませんでしたが、後から録画したものを観て胸が熱くなりました。娘が幼い頃は勤務医で、お盆も年末年始も働いていました。朝保育園に預けて働いて、仕事が終わると迎えに行く日々でした。日曜日に娘を連れて出勤することもありました。仕事と生活に追われて必死で、いつも疲れていたので優しくできず、娘の寝顔を見て後悔することもしばしばありました。

私が娘に「医者になりなさい。」と言ったことはこれまで一度もありません。5歳の時にクリニックを開業して、今年で5年目を迎えるタイミングで、10歳の娘がこのような気持ちを持っていてくれたことがとても頼もしく、誇らしく感じました。これから思春期に突入して反抗期を迎え、気持ちが変わってしまうことももちろんあるでしょう。それはそれで受け止める覚悟は、すでに持ち合わせています。この10年間、子育てをしてきたと思っていましたが、育てられているのはまさに親の方です。「子育ては親育て」といいますが、子どもの存在で親にしてもらっている、親になってみて初めてわかる親の苦労や気持ちがたくさんあるものです。

私を10年間親として育ててくれた娘に、心からの敬意を払ってこれからも共に生きていこうと強く思いました。娘が好きな名言“聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥”は、私が小学3年生の時に父親に教えられて大事にしてきた言葉で、幾度となく話してきました。父は2018年に他界しましたが、時を超えて受け継がれる嬉しさを噛みしめながら、あらたな年度を迎えます。

 

 

旅立ちはフリージア

2022年2月24日

旅立ちはフリージア

第32号:2022年3月号

 昨今、SNSで気持ちを楽に伝えられてしまいますが、家(いえ)電しかなかった昭和な人間としては、今もアナログ感が大好きです。中高の親友から送られてきた、直筆のお手紙とフリージアの香りのアロマキャンドル。

「本来送るべきものとは違い失礼かなと悩みましたが、嘉代ならきっと受け入れてくれると思って。」そこには昨年他界した私の母へのお悔やみの言葉とともに、彼女とお母さまの素敵なエピソードが記されていました。卒園式の時に、フリージアの小さな花束を母親から送られ、幼心にお花をもらうって素晴らしいな、意味のあることなのだろうなと思ったそうです。それ以来、フリージアの甘い優しい香りに母の愛を感じるようになったのだと。だから「ふとした時に、このキャンドルをたいて、お母さまをおもってくれたら・・。そんなふうに思い贈らせてもらいました」彼女からの心温まるメッセージに感動しました。

聖子ちゃんの歌に「旅立ちはフリージア」という曲があります。(聖子ちゃんはスイトピーだけではないのです。)思わずユーチューブで流して、親友からの優しい気持ちを受け取ったのでした。ユーチューブで聴くあたりは、アナログではないのですが・・・。

 大学受験をめぐって、信じられないニュースが舞い込んできます。もちろん勉強も大切ですが、中学高校の多感な時期に、大人になってからも心を通わせられるような、素敵な親友との出会いや思い出を築くことの方が将来人間として何倍も豊かで価値のあることだと私は思います。

この3月で卒業を迎える皆様へ、どうぞ一生の友となるような素敵な出会いがこれから訪れますように。私も優しい気持ちで心の中でフリージアの花束を皆様へ送りたいと思います。旅立ちはフリージア。

恩師と別れてから1年を経て

2022年2月24日

恩師との別れから1年を経て

第31号:2022年2月号

 先日、小児科の恩師の奥様から寒中お見舞いの葉書をいただきました。「早いもので夫を見送って1年が経ちました。療養中は、遠方からわざわざお見舞いただき有難うございました。コロナの先行きが見えず、クリニックもいろいろと大変ですね。頑張ってください。」と達筆な文字で書かれていました。その葉書を眺めながら、もう1年も経ってしまったのかと愕然としてしまいました。

 S先生との出会いは、21年前にさかのぼります。当時研修医だった私は、将来的に小児科を志す予定はなく、内科や産婦人科の研修の傍ら小児科を3か月研修した程度でした。小児科研修の際に、元気になって帰っていく子どもたちのエネルギッシュな姿と先生のご指導がとても心地よく、「あれ?内科よりずっと研修が充実していたな。」と思いながら3か月を終えた記憶があります。

 その後、勤務していた病院の内部問題で混乱が生じ、研修がままならなくなりました。程なくして私も過労で体調を崩してしまい、しばらく休養することに。小児科に進むことを考えていなかったにも関わらず、先生はいつも療養中の私のことを気にかけてくださり、「そんなに辛いなら、子どもたちのところにくればいい。嘉代の気持ちも少しは癒されるはず。」と声をかけてくださいました。先生のその言葉に導かれて、1年だけ小児科をやってみようと決意してから気が付けば今に至ります。あの時の先生の一言により、私の小児科医人生がはじまったといっても過言ではありません。

 人生において、出会いたい人には遅くもなく早くもなく絶妙なタイミングで出会えると私は信じています。血液の癌で数年療養されたのち、1年前に他界された先生。コロナ禍で、1年経ってもまだお焼香にも伺えておらず、心苦しい限りです。今年こそは先生のお宅に伺い、感謝の気持ちを直接伝えたいと思います。

いつもクールな愛情表現だったS先生、でも心の中はいつも温かく包み込むように静かに見守ってくださいました。先生との出会いで、私の人生は大きくかわりました。どうか研修医の頃同様に、上から引き続き見守っていてくださいね。

恩師との別れから1年を経て、S先生は今もずっと私の胸の中で生き続けています。

新しい年の始まりに・・

2022年1月27日

新しい年のはじまりに・・

第30号:2022年1月号

 年末年始皆さまはどのようにお過ごしになりましたか。久しぶりに帰省されたり、家族旅行を楽しまれたり、またご自宅でゆっくりのんびりしたりと思い思いのお正月だったのではないでしょうか。

このところ、まただんだん雲行きが怪しくなってきましたが・・・

私は、初めて訪れた南紀白浜(和歌山)で年越しをしました。昼間の海や空の青の美しさもさることながら、地平線にゆっくりと沈んでいく太陽が、周囲の雲を茜色に染めていく様をまじまじと眺めていました。そして夜空を見上げると、無数の星がこぼれんばかりに、手を伸ばせば届きそうなほど美しく広がるのをゆっくり観賞することもできました。それはさながらプラネタリウムと錯覚するほど(いえそれ以上)に、オリオン座が霞んでしまうほどの星の数と天空がこんなに近くに感じられたことに、心からの感動を覚えました。

とかく辛い時や苦しい時人は、無意識に下をむいてしまうものです。この2年はそのような機会が多かったように思います。すると視野は狭くなり、なかなか明るい気持ちや発想につながらないものです。そんな時は、少し無理してでも体を伸ばして宙を見上げて深呼吸してみるのはどうでしょうか。歌の文句にもあるように「上を向いて歩こう」です。時には空をのんびり眺めることで心に余裕ができ、気持ちも少しは穏やかになるはずですから。

 苦しい時こそ空を見上げて、上を向いて歩きましょう!!

2022年が皆様お一人お一人にとって素晴らしい1年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

1年の終わりに・・

2021年12月2日

1年の終わりに・・

第29号:2021年12月号

 2020年に続き、新型コロナウイルスに振り回された2021年もあと少しで終わろうとしています。誰もが経験したことのない未曽有の感染症に見舞われ、私たちの暮らしはこの2年で一変しました。繰り返された緊急事態、新しい生活様式を受け入れていくなかで、当たり前にできていたことが出来なくなってしまい不適応を起こした人は数知れず。心を病んだ子どもたち、大人たち・・・。

皆さんにとってこの1年はどのような年だったでしょうか。不自由を強いられる中で、自分にとって何が必要で大切なのかをじっくり考えることができた年でもあったように思います。離れて暮らす家族や友人に会いたくても会えないもどかしさ、共に暮らす家族の有難み。子どもとじっくり向き合った時間、自身の働き方を変えたこと。当たり前が当たり前でないことが身に沁みたのではないでしょうか。

私事で恐縮ですが、先日母が突然他界しました。享年73歳でした。ちょうど会いに行く約束をしていた、わずか3週間前のことでした。物理的な距離、仕事の忙しさ、コロナを理由に、実家から足が遠のいていたことが悔やまれます。父も3年前に他界しており、一人暮らしだった母は、晩年孤独や不安を抱えながら暮らしていました。娘としてもう少し向き合ってあげればよかったと落ち込んでいた私に、尊敬する小児科の先輩女医さんが「後悔は後出しじゃんけんしているようなもの。その時々で一番良い選択をして過ごしてきたと信じましょう。」と励ましのお言葉をかけて下さいました。父のときも母の時も死に目に会うことは叶いませんでした。この仕事をしていると、親の死に目には会えないものなのだなと一抹の寂しさを感じつつ、これが自分に与えられた宿命なのかなとも思います。

さて、ワクチン接種に加えて抗ウイルス薬の認証、withコロナ時代の幕開けです。2022年は心穏やかに、会いたい人に会えて感謝の気持ちを伝えられるような、そんな明るい年であって欲しいと切に願っています。皆様もどうか良いお年をお迎えくださいませ。

1年の終わりに、亡き母を偲んで・・・。

時には一人時間を!

2021年11月1日

時には一人時間を!

第28号:2021年11月号

 

 24時間365日、子育てにはお休みがありません。お子さんが幼い頃は特に、日々目まぐるしく過ぎていきます。忙しいはまさに「心を亡くす」と書きますが、心を亡くした状態でお子さんに接していると、感情的になりイライラすることが常習化してしまいます。中にはお子さんとの付き合い方にそもそも慣れていて、あまりストレスを感じないという人もいますが本当に稀です。大半の方は、日々の子育てに少なからずストレスを感じて、中には疲弊して体調を壊してしまう方もいます。また、イライラして子どもに手を挙げてしまうという最悪の事態も。

そうならないためにも、私は「一人時間」をおススメしています。親子といえども違う人格をもった個々の人間ですから、時には距離をとることが必要なのです。物理的に距離をとることは、心の距離をとることにもつながります。アンガーマネージメント(怒りのコントロール)においても、イライラした時は速やかにその場から離れることを勧めています。育児においてこうでなければならないというしがらみが多すぎて、理想のママを演じすぎていませんか?手を抜くことに罪悪感を抱くことはありませんか?

 「一人時間」には自分の好きなことをしましょう。美容院に行く、カフェでお茶を飲む、好きな本を読む、映画を観る、お散歩する、習い事を始めてみる、自分自身の心に常に栄養を補充してあげないと、目下優しい気持ちにはなれないものです。定期的にできるように、周囲の協力を仰ぎましょう。日々目先のことに一喜一憂してしまうものですが、子育ては先が長く、またその時々(乳児期~幼児期~学童期~思春期)で抱える問題はどんどん変化していきます。その時々でたとえ困難なことがあっても、10年後に振り返ってみると、懐かしい思い出となり笑っていられるものですから。

子育ての道のりは長いので、一人時間を意識的に作って心に栄養を!ママだって楽しい時間を過ごしてもいいのですよ。

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