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院長コラム

二分の一成人式

2022年4月7日

二分の一成人式

第33号:2022年4月号

 「私は、子どもの病気を治すことのできる人になりたいです。理由は、5歳の時医師であるお母さんが、患者さんが苦しそうな時に、冷静に話を聞いて診察していたのを見て憧れたので、子どもの病気を治すことのできる医師になりたいと思いました。また手術等をする外科医ではなく、人とコミュニケーションがとれて、言葉で通じ合える医師になりたいと思います。そのために今できることは、いろいろな勉強をして、人とコミュニケーションをとって優しい気持ちを作っていくことが大切だと思いました。これからもそれを達成できるようにがんばりたいと思います。また私の好きな名言は、“聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥”です。これからもいろいろな人にいろいろなことを聞いて成長していきたいです。」

震災の年に産まれた10歳の娘が、先日学校の参観日(オンライン)で発表していました。リアルタイムで観ることはできませんでしたが、後から録画したものを観て胸が熱くなりました。娘が幼い頃は勤務医で、お盆も年末年始も働いていました。朝保育園に預けて働いて、仕事が終わると迎えに行く日々でした。日曜日に娘を連れて出勤することもありました。仕事と生活に追われて必死で、いつも疲れていたので優しくできず、娘の寝顔を見て後悔することもしばしばありました。

私が娘に「医者になりなさい。」と言ったことはこれまで一度もありません。5歳の時にクリニックを開業して、今年で5年目を迎えるタイミングで、10歳の娘がこのような気持ちを持っていてくれたことがとても頼もしく、誇らしく感じました。これから思春期に突入して反抗期を迎え、気持ちが変わってしまうことももちろんあるでしょう。それはそれで受け止める覚悟は、すでに持ち合わせています。この10年間、子育てをしてきたと思っていましたが、育てられているのはまさに親の方です。「子育ては親育て」といいますが、子どもの存在で親にしてもらっている、親になってみて初めてわかる親の苦労や気持ちがたくさんあるものです。

私を10年間親として育ててくれた娘に、心からの敬意を払ってこれからも共に生きていこうと強く思いました。娘が好きな名言“聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥”は、私が小学3年生の時に父親に教えられて大事にしてきた言葉で、幾度となく話してきました。父は2018年に他界しましたが、時を超えて受け継がれる嬉しさを噛みしめながら、あらたな年度を迎えます。

 

 

旅立ちはフリージア

2022年2月24日

旅立ちはフリージア

第32号:2022年3月号

 昨今、SNSで気持ちを楽に伝えられてしまいますが、家(いえ)電しかなかった昭和な人間としては、今もアナログ感が大好きです。中高の親友から送られてきた、直筆のお手紙とフリージアの香りのアロマキャンドル。

「本来送るべきものとは違い失礼かなと悩みましたが、嘉代ならきっと受け入れてくれると思って。」そこには昨年他界した私の母へのお悔やみの言葉とともに、彼女とお母さまの素敵なエピソードが記されていました。卒園式の時に、フリージアの小さな花束を母親から送られ、幼心にお花をもらうって素晴らしいな、意味のあることなのだろうなと思ったそうです。それ以来、フリージアの甘い優しい香りに母の愛を感じるようになったのだと。だから「ふとした時に、このキャンドルをたいて、お母さまをおもってくれたら・・。そんなふうに思い贈らせてもらいました」彼女からの心温まるメッセージに感動しました。

聖子ちゃんの歌に「旅立ちはフリージア」という曲があります。(聖子ちゃんはスイトピーだけではないのです。)思わずユーチューブで流して、親友からの優しい気持ちを受け取ったのでした。ユーチューブで聴くあたりは、アナログではないのですが・・・。

 大学受験をめぐって、信じられないニュースが舞い込んできます。もちろん勉強も大切ですが、中学高校の多感な時期に、大人になってからも心を通わせられるような、素敵な親友との出会いや思い出を築くことの方が将来人間として何倍も豊かで価値のあることだと私は思います。

この3月で卒業を迎える皆様へ、どうぞ一生の友となるような素敵な出会いがこれから訪れますように。私も優しい気持ちで心の中でフリージアの花束を皆様へ送りたいと思います。旅立ちはフリージア。

恩師と別れてから1年を経て

2022年2月24日

恩師との別れから1年を経て

第31号:2022年2月号

 先日、小児科の恩師の奥様から寒中お見舞いの葉書をいただきました。「早いもので夫を見送って1年が経ちました。療養中は、遠方からわざわざお見舞いただき有難うございました。コロナの先行きが見えず、クリニックもいろいろと大変ですね。頑張ってください。」と達筆な文字で書かれていました。その葉書を眺めながら、もう1年も経ってしまったのかと愕然としてしまいました。

 S先生との出会いは、21年前にさかのぼります。当時研修医だった私は、将来的に小児科を志す予定はなく、内科や産婦人科の研修の傍ら小児科を3か月研修した程度でした。小児科研修の際に、元気になって帰っていく子どもたちのエネルギッシュな姿と先生のご指導がとても心地よく、「あれ?内科よりずっと研修が充実していたな。」と思いながら3か月を終えた記憶があります。

 その後、勤務していた病院の内部問題で混乱が生じ、研修がままならなくなりました。程なくして私も過労で体調を崩してしまい、しばらく休養することに。小児科に進むことを考えていなかったにも関わらず、先生はいつも療養中の私のことを気にかけてくださり、「そんなに辛いなら、子どもたちのところにくればいい。嘉代の気持ちも少しは癒されるはず。」と声をかけてくださいました。先生のその言葉に導かれて、1年だけ小児科をやってみようと決意してから気が付けば今に至ります。あの時の先生の一言により、私の小児科医人生がはじまったといっても過言ではありません。

 人生において、出会いたい人には遅くもなく早くもなく絶妙なタイミングで出会えると私は信じています。血液の癌で数年療養されたのち、1年前に他界された先生。コロナ禍で、1年経ってもまだお焼香にも伺えておらず、心苦しい限りです。今年こそは先生のお宅に伺い、感謝の気持ちを直接伝えたいと思います。

いつもクールな愛情表現だったS先生、でも心の中はいつも温かく包み込むように静かに見守ってくださいました。先生との出会いで、私の人生は大きくかわりました。どうか研修医の頃同様に、上から引き続き見守っていてくださいね。

恩師との別れから1年を経て、S先生は今もずっと私の胸の中で生き続けています。

新しい年の始まりに・・

2022年1月27日

新しい年のはじまりに・・

第30号:2022年1月号

 年末年始皆さまはどのようにお過ごしになりましたか。久しぶりに帰省されたり、家族旅行を楽しまれたり、またご自宅でゆっくりのんびりしたりと思い思いのお正月だったのではないでしょうか。

このところ、まただんだん雲行きが怪しくなってきましたが・・・

私は、初めて訪れた南紀白浜(和歌山)で年越しをしました。昼間の海や空の青の美しさもさることながら、地平線にゆっくりと沈んでいく太陽が、周囲の雲を茜色に染めていく様をまじまじと眺めていました。そして夜空を見上げると、無数の星がこぼれんばかりに、手を伸ばせば届きそうなほど美しく広がるのをゆっくり観賞することもできました。それはさながらプラネタリウムと錯覚するほど(いえそれ以上)に、オリオン座が霞んでしまうほどの星の数と天空がこんなに近くに感じられたことに、心からの感動を覚えました。

とかく辛い時や苦しい時人は、無意識に下をむいてしまうものです。この2年はそのような機会が多かったように思います。すると視野は狭くなり、なかなか明るい気持ちや発想につながらないものです。そんな時は、少し無理してでも体を伸ばして宙を見上げて深呼吸してみるのはどうでしょうか。歌の文句にもあるように「上を向いて歩こう」です。時には空をのんびり眺めることで心に余裕ができ、気持ちも少しは穏やかになるはずですから。

 苦しい時こそ空を見上げて、上を向いて歩きましょう!!

2022年が皆様お一人お一人にとって素晴らしい1年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

1年の終わりに・・

2021年12月2日

1年の終わりに・・

第29号:2021年12月号

 2020年に続き、新型コロナウイルスに振り回された2021年もあと少しで終わろうとしています。誰もが経験したことのない未曽有の感染症に見舞われ、私たちの暮らしはこの2年で一変しました。繰り返された緊急事態、新しい生活様式を受け入れていくなかで、当たり前にできていたことが出来なくなってしまい不適応を起こした人は数知れず。心を病んだ子どもたち、大人たち・・・。

皆さんにとってこの1年はどのような年だったでしょうか。不自由を強いられる中で、自分にとって何が必要で大切なのかをじっくり考えることができた年でもあったように思います。離れて暮らす家族や友人に会いたくても会えないもどかしさ、共に暮らす家族の有難み。子どもとじっくり向き合った時間、自身の働き方を変えたこと。当たり前が当たり前でないことが身に沁みたのではないでしょうか。

私事で恐縮ですが、先日母が突然他界しました。享年73歳でした。ちょうど会いに行く約束をしていた、わずか3週間前のことでした。物理的な距離、仕事の忙しさ、コロナを理由に、実家から足が遠のいていたことが悔やまれます。父も3年前に他界しており、一人暮らしだった母は、晩年孤独や不安を抱えながら暮らしていました。娘としてもう少し向き合ってあげればよかったと落ち込んでいた私に、尊敬する小児科の先輩女医さんが「後悔は後出しじゃんけんしているようなもの。その時々で一番良い選択をして過ごしてきたと信じましょう。」と励ましのお言葉をかけて下さいました。父のときも母の時も死に目に会うことは叶いませんでした。この仕事をしていると、親の死に目には会えないものなのだなと一抹の寂しさを感じつつ、これが自分に与えられた宿命なのかなとも思います。

さて、ワクチン接種に加えて抗ウイルス薬の認証、withコロナ時代の幕開けです。2022年は心穏やかに、会いたい人に会えて感謝の気持ちを伝えられるような、そんな明るい年であって欲しいと切に願っています。皆様もどうか良いお年をお迎えくださいませ。

1年の終わりに、亡き母を偲んで・・・。

時には一人時間を!

2021年11月1日

時には一人時間を!

第28号:2021年11月号

 

 24時間365日、子育てにはお休みがありません。お子さんが幼い頃は特に、日々目まぐるしく過ぎていきます。忙しいはまさに「心を亡くす」と書きますが、心を亡くした状態でお子さんに接していると、感情的になりイライラすることが常習化してしまいます。中にはお子さんとの付き合い方にそもそも慣れていて、あまりストレスを感じないという人もいますが本当に稀です。大半の方は、日々の子育てに少なからずストレスを感じて、中には疲弊して体調を壊してしまう方もいます。また、イライラして子どもに手を挙げてしまうという最悪の事態も。

そうならないためにも、私は「一人時間」をおススメしています。親子といえども違う人格をもった個々の人間ですから、時には距離をとることが必要なのです。物理的に距離をとることは、心の距離をとることにもつながります。アンガーマネージメント(怒りのコントロール)においても、イライラした時は速やかにその場から離れることを勧めています。育児においてこうでなければならないというしがらみが多すぎて、理想のママを演じすぎていませんか?手を抜くことに罪悪感を抱くことはありませんか?

 「一人時間」には自分の好きなことをしましょう。美容院に行く、カフェでお茶を飲む、好きな本を読む、映画を観る、お散歩する、習い事を始めてみる、自分自身の心に常に栄養を補充してあげないと、目下優しい気持ちにはなれないものです。定期的にできるように、周囲の協力を仰ぎましょう。日々目先のことに一喜一憂してしまうものですが、子育ては先が長く、またその時々(乳児期~幼児期~学童期~思春期)で抱える問題はどんどん変化していきます。その時々でたとえ困難なことがあっても、10年後に振り返ってみると、懐かしい思い出となり笑っていられるものですから。

子育ての道のりは長いので、一人時間を意識的に作って心に栄養を!ママだって楽しい時間を過ごしてもいいのですよ。

子育て教習所があったなら・・

2021年10月8日

子育て教習所があったなら・・

第27号:2021年10月号

 育児で悩んだことがないという親御さんは皆無だと思われます。程度の差はあれ、日々目の前の些細なことから将来の不安まで、子育てにおいて悩みはつきません。保育士さんをはじめとする子どもに関わる仕事であれば、多少なりとも子育ての疑似体験ができるかもしれません。しかし大半の人にとっては、自分の子どもが産まれてすべてが初めて尽くしの子育て経験となります。

 もし自動車教習所のように、あらかじめ「子育て教習所」なるものがあって、勉強して免許をとらないと子育てできないとしたらどうでしょうか。状況は少しでも変わるでしょうか。運転免許を取得しても、日常的に運転しなければいわゆるペーパードライバーとなり、運転できないのと変わりません。免許証は身分証明書がわりに使う程度でしょう。子育てもしかり、仮に親になる前に学ぶ場があったとしても、親になってからきちんと子どもと向き合わなければ、何の意味もありません。

 よく“子育ては親育て”と言われるように、最初から完璧な親はいません。子どもの成長とともに、親もまた親らしくなっていく。そこには日々の様々な葛藤や悩みがあって当然です。むしろもがき苦しみ悩む中で、冷静に考え解決策を学び、そして道を切り開いていく、そんな泥臭いことの繰り返しが子育ての本質なのではないでしょうか。系統的に学んで資格をとっても、やはりいろんな道を走って、経験をつんでこそ前に進んでいけます。

日々お子さんと感情的にぶつかることもあるでしょう。寝顔をみてもう少し優しくしてあげればよかったのにと後悔することもあるでしょう。自分の親としての資質に自信を無くすこともあるでしょう。それこそが、子育ての醍醐味であり、実践で得た経験と知恵に裏打ちされた素晴らしい営みの連続なのです。

 子育て教習所・・あったらいいけど、なくても大丈夫!

目的を明確に!

2021年9月3日

目的を明確に!

第26号:2021年9月号

 

 診察に入ってくるなり、「チックンしない?チックンしない?」と繰り返すお子さんがいます。「しないよ。」と一言さらりと答えても、その後何度も何度もおまじないのように聞いてきます。病院=痛いことをする場所というのが、刷り込まれているようですが、そこは受診前に今日の目的を親御さんが明確に伝えて欲しいものです。今日はどうして病院にいくのか?どうして病院に行く必要があるのか?診察だけの日はその旨を、注射の日は注射を打つ日であることとその必要性を、お子さんにきちんと説明していただけるとてもスムーズに診察ができます。

 一方で、病院にきて騒ぐお子さんに「言うことを聞かないと、先生にチックンしてもらうよ。」と叱る親御さんがいます。この言葉にわれわれは正直頭を抱えています。いろいろな要素が含まれますが、まず言うことを聞かなければ罰(体罰)を与えてもよいと認識させている。注射という本来はお子さんにとって有益なものを、怖いものと認識させている。さらには、言うことを聞かない時に先生たちに叱ってもらうよと、保護者の責任を放棄しているなどなど。何気なくお子さんに伝えている言葉が、幾重にも間違った認識を植え込んでしまっているのです。

 病院の受診に限りませんが、必ずしもお子さんにとって楽しい場所ではない、また楽しいことではない状況(薬を飲むや塗る等も)において、あらかじめその目的や必要性を明確に説明することで、お子さんも自分で考える習慣ができます。そして、注射の後は、「よく頑張ったね」と頭をなでであげる。よく注射の際に、ひたすら「ごめんね。ごめんね。」とお子さんに謝る親御さんがいますが、これももうお分かりの通り誤った認識ですよね。謝る必要などまるでありません、お子さんにとって本当に必要なことなのですから。

幼いお子さんであっても、繰り返し伝えることによって、必ずインプットされます。日ごろから、目的を明確に伝えることを意識していただきたいものです。

家族サービスという違和感

2021年8月12日

家族サービスという違和感

第25号:2021年8月号

 

 メジャーリーガーや監督は、家族のイベントがあると率先して試合を休むそうです。一方日本はどうでしょうか、子どものイベントのために敢えてお父さんが有休をとること、ましてや男性の育児休暇なんてハードルが高いのが現状ではないでしょうか。日曜日に家族と出かけるときも、同僚には「週末家族サービスだから」とあたかも特別に自分が努力してサービスする感が否めません。

コロナ禍で働き方も随分かわりました。お父さんが在宅してくれて、家事や育児を率先して一緒にやってくれることがありがたいと話すお母さんもいれば、かえってやることが増えてストレスだと愚痴をこぼす方も・・・。この違いは一体何でしょうか。お子さんの受診や健診、ワクチンに至るまで、お父さんが一人でお子さんを連れて来院されることが、この数年で本当に増えました。お子さんの病状や日頃の様子をお伺いした際に的確な返答があると、しっかり育児されているなとこちらが嬉しくなります。家事や育児を主体的に担っていくことは、家族として当然の役割だと思います。「稼ぎ男に繰り女」や「男子厨房に入らず」といった長きに渡り性別で役割分担を押し付けてきた日本の悪しき歴史からすると、本当にいい時代になったと日々実感しています。

しかし一方でまだまだ仕事がメイン、子どもや家庭のことはすべて奥さん任せで、家族との時間はサービスやサポートといった主体的になれない古典的な発想も受け継がれているのが現状です。本来は仕事のときも、家族と過ごしているときも、どちらも個人にとっては大切な時間のはずです。ジェンダーギャップ指数が世界120位(世界156カ国中)と驚くほど低い日本。今の子どもたちが大人になった時に、社会も家庭もこのギャップを埋めて、お互いに自立して尊敬しあい労わりあいながら、温かい家族を築いてほしいと切に願うこの頃です。

家族サービスではなく、家族だから当たり前に。

対話そして待つこと

2021年6月28日

対話そして待つこと

第24号:2021年7月号

 

 習い事や塾などにおいて、とかく親が言ってしまいがちなこと。「そんなに嫌ならやめちゃいなさいよ。授業料がもったいない!」あっさり「じゃあ、やめるよ。」なんて言うお子さんは少なく、大半は「やめないよー。続けるよー。」なかば怒って、時には半泣きになりながら反論してくるでしょう。そこに流れる親子の空気感は、とてもギスギスしたものです。親からみると、やる気がないように見えても、子どもにしてみればひどく眠かったのかもしれません。やっても上手にならなくて、気持ちが落ちていたのかもしれません。

 逆に、お子さんの方から「やめたい。」と言ってきた場合、親御さんはなんて返しますか。「まだ始めたばかりでしょ。もうちょっと、がんばりなさいよ~。」と一蹴してしまうことはないでしょうか。本人の“やめたい”には、本当に嫌という気持ち、それ以外にも続けたいけど難しくてうまくできない。自分には才能がないと落ち込んで、つい口からでてしまった。いずれにしても、「どうして?」と一言聞き返すだけでよいのです。本人がどうしてそう思ったのか、対話するのです。その際に、「お母さん(お父さん)はこう思うけど、○○ちゃんは?」と先手を打って親の意見を誘導するのではなく、あなたは本当にどうしたいとおもっているの?ベースで、本人の話に耳を傾けてあげてください。

一緒に暮らしているからわかっているつもりでも、ゆっくり話を聴いてみるとそんな風に考えていたの?と驚かされることが多々あります。意外に真剣に深く考えていたりします。もし自信をなくしているのならば、それを家族としてどうサポートしてあげられるか。やる気のでないときに、どんな気分転換が有効だろうか。この音楽を聴いたら、この飴をなめたら、このダンスをしたら、その他おまじないでもなんでもいいので、やる気スイッチの入れ方を一緒に考えてあげてください。

 そして最後に、本人の気持ちを引き出せたら待つことです。この“待つ”ということが、本当に難しい。お金をだしていると、つい手も口もだしたくなる衝動にかられるからです(笑)子どもは日々ものすごい勢いで成長しています。成長を生かすも殺すも、親が手も口もださずにじっくり待ってあげられるかどうかで決まります。

対話と待つこと少し意識してみませんか。(夫婦関係もしかり)💑

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