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院長コラム

母と娘は年女🐇

2023年1月7日

母と娘は年女🐇

第42号:2023年1月号

 2023年が幕を開けました。そして、私も娘も🐇年女です。12年前東日本大震災の年に生まれた娘も、今年小学校6年生になります。十二支がちょうど一周したのでふと振り返ってみると、保育園時代は娘の体調をいつも気遣っていたのに、今では私の方が娘に心配される立場となってしまいました。寝る前に絵本の読み聞かせをしていたのに、「この小説面白いから絶対読んでね。」と逆に薦められるようになりました。疲れて眠ってしまった娘に毛布をかけていたのに、ソファーで寝落ちしている私に毛布をかけくれるようになりました。ひらがなや漢字を教えてあげたのに、流行りのボカロ曲を教わるようになりました。

 自分はずっと子育て真っ直中にいると思っていたのに、気が付けば子に教えられていることが多く、こちらが育てられていることを実感するこの頃です。そして親子といえども、気質や性格や得意なことが驚くほど違うことを思い知らされます。まさに別人格です。良かれと思ってつい自分の価値基準で物事を判断しては、それを娘に押し付けているのではないかと自問自答することも多くなりました。「今の子は・・・」と言って、自分の幼少期と比較して嘆いてみたり羨んでみたりしたところで、今の時代を生きている子どもたちにとっては迷惑な話です。

尊敬する小児科の女医さん(お子さん達はすでに成人している)がおっしゃっていました。「子育てとか教育とかいうけれど、下手にエネルギーを注がなくても子どもたちは意思を持って生まれてきているのだから、それに寄り添ってサポートすれば良いのよ。」「私の判断することなんて私の経験の中で生まれた基準でしかなくて、良かれと思ってもそれを押しつけてしまうのは、子どもの生きる権利を奪ってしまうようなものよ。」と。

2023年は、“信じて黙って見守り、寄り添う”をモットーに、「言うは易く、行うは難し」ですから、努めて口うるさい母を脱却すると心に決めた新年でした。

うさぎ年の母と娘、次の12年後はもう完全に立場が逆転していることでしょう。それもまた楽しみではありますが・・・。

 

心の大掃除もご一緒に

2022年12月3日

心の大掃除もご一緒に

第41号:2022年12月号

早いもので2022年も残すところあとわずかとなりました。クリニックも無事に5周年を迎え、6年目となりました。コロナ禍も丸3年となり、感染対策や行動制限、ワクチン接種もすすめてきたはずなのに、未だに第○波というフレーズを耳にするたびに、これからさらにどれだけの波に乗ればいいのだろうかと疑問に思います。マスクを始めとした新しい生活様式がすっかり定着し、コロナ前では考えられなかった飲食店に入る前の手指消毒や検温も、当たり前の光景となりました。疑問に思うこともなくなり、いわゆる「慣れ」というものですね。

さて年末といえば大掃除がつきものですが、まずは物理的な断捨離から行い、家がすっきりしたところで、この1年を振り返り心の整理整頓もしておきたいものです。この1年ご自身のこと、ご家族のこと、仕事のこと、人間関係のこと、その他充実していたことはなんでしょうか?反対に心残りはなんでしょうか?どんな時が楽しい気持ちになり、どんな時に不安や焦りが生じたでしょうか?新たに決断したこと、踏み出したことは何でしょうか?すっきり解決したこと、未だに解決にいたらずもやもやしていることは何でしょうか?自分と対話しながら、2022年内にすっきりさせたいこと、2023年にもちこしてもいいことをざっくりと決めておくと、気持ちが楽になります。白黒はっきりさせる必要はなく、あくまでも自分の心のお掃除なので、多少埃が残っていてもそこは見過ごしましょう。

 日々の生活に追われる中でも、好きで時間を忘れて夢中になれることはなんでしょうか?現時点で全くない、おもいつかないのであれば2023年は是非それをみつけましょう。先行きの見えない中でも、自身を癒せるのは他でもない自分です。大掃除をしてすっきりした部屋には、好きなものを置くスペースが必ずできるはずです。心もまた同様、まずは整理整頓、そして好きなもので満たしていきましょう。

 みなさんにとって2023年が、やらなければいけないことだけに支配されず、やりたいことで心を豊かに満たしていけるような、そんな年でありますように切に願っております。

 よいお年をお迎えください。

 

 

 

1975年

2022年11月24日

1975年

第40号:2022年11月号

 私の生まれ歳です。先月また一つ歳をとりました。最近1980年代後半や1990年代前半の中学生や高校生の頃に何気なく聞いていた流行歌に心を打たれることが多くなりました。歌詞の世界観や登場人物の心情などが、リアリティーをもって伝わってくるのです。30年以上の時を経て、当時の歌が今に蘇るなんて素晴らしいなと感動するとともに、歌詞に共感できるようになったこと、そのような人生を歩んでこられたことに嬉しさを感じていました。

歳をとり、様々な経験(医師としても人としても)を積み重ねて悩み考えてきたこと、もちろんたくさんの失敗や挫折もありました。苦渋の決断に迫られて、あきらめたことも数知れず。その過程の中で得てきたものすべてが、人の成長なのだと思うのです。振り返ってみて、あの時もっと冷静に判断していれば良かったとか、もっと優しくできたのではないかとか、一抹の後悔はもちろんあります。しかし、人は何歳になってもまだまだ成長できますしこれでいいという終わりはありません。

つい忙しい毎日の中で、お子さんの成長のことばかりに目がいきがちですが、さてみなさんご自身の成長はいかがでしょうか?子を授かり、母になり父になり、思い通りにならない子育ての中でもがき苦しんだこともたくさんあったことでしょう。今まさに真っ直中かもしれません。親になって初めてわかる親の気持ちもたくさんありますし、仕事や人生に対する向き合い方や考え方も随分変わってきたのではないでしょうか。

秋の夜長に、私同様ふと懐かしい曲をきいてみたり、好きだった本を手にしてみたり、学生時代の映画を観たりなんでもいいのですが、昔の自分と静かに対話してみてください。ご自身の成長が感じられて、なんともいえない温かい気持ちになるものですよ。

手放す勇気?踏みとどまる覚悟?

2022年9月27日

手放す勇気?踏みとどまる覚悟?

第39号:2022年10月号

 苦しい状況に陥った時に、手放す勇気か?踏みとどまる覚悟か?どちらが必要でしょうか。どちらもしかりだと思いますが、「ピンチはチャンス」というように、苦しい時こそ踏みとどまって少ししんどいけれども頑張ってみると、手放してしまっていたら決して見ることのできなかった景色が、そこには広がっているものです。

以前勤務していた病院を辞めようかどうしようか悩んだ時に、辞めたら今より楽になるけれど、小児科専門医とアレルギー専門医を取得しないで辞めたらきっと後悔するだろうと考えました。そう、この後悔するかどうかというのがポイントになる気がします。おかげさまで踏みとどまりどちらの専門医も取得してから退職し、その後1年半の準備期間を経て開業し、5年の月日が流れました。今考えても、あの時手放さずに踏みとどまったからこそ今があると確信しています。そうでなければ、今の景色はみえていなかったはずです。

 何かを成し遂げるには、必ずと言っていいほど痛みを伴います。好きなことを一時我慢して、集中して打ち込む必要があるからです。そういう経験をたくさんすればするほど、今は頑張る時だなという感覚が研ぎ澄まされていきます。そして、苦しい時はあまり先を考えないで目の前のことに集中して取り組むと、意外に苦しさが半減します。やるべきことを淡々とこなしていく、そこにあまり感情をのせないで、いい意味でやり過ごすということです。

 ただし、手放す勇気を選択した方がいい場合が一つあります。体や心を壊してまで踏みとどまらなければいけないものなど、この世の中には何もないということです。このままでは、体も心も蝕まれてしまう、もうすでに少しずつ蝕まれていると感じたら、気持ちよいくらいに手放しましょう。結婚式で、ブーケトスする新婦さんのイメージで、空高く放り投げてしまいましょう。きっと誰かが、それをキャッチして何とかしてくれるはずですから。

 後悔しないかどうかで判断、基本は踏みとどまってあまり先を考えずに、目の前のことに集中してやり過ごす。そして踏みとどまった先に見えた景色を楽しみましょう。ただし心身の不調をきたしそうならば、すぐに手放す勇気を!

適性を知るには

2022年9月27日

適性を知るには

第38号:2022年9月号

 誰しも得意・不得意、向き・不向きはありますが、自分で壁を作ってしまうこともしばしば。先日元TV東京プロデューサーの佐久間宣行さんの著書を読んだ際に、その道でずっとやってきた人が「君ならこれ、できるよ」というポジティブな声をかけてくれたら、その声には耳を傾けようという一文があり、大変共感しました。

私自身、大学卒業後は女性診療を志していたため、内科や産婦人科を中心に研修していました。小児科は、わずか3か月だけ。自然分娩も50件以上立ち合い、緊急帝王切開や婦人科の手術も経験させていただきました。自身が体調を崩したことがきっかけで、当時勤務していた病院の院長(元横浜市立大学助教授:専門は小児血液)に小児科にくるよう勧められました。医師になってすでに4年目の秋です。小児科医になる道を全く考えてこなかった私にとっては、今考えてもなぜその先生が私を誘ってくださったのか正直わかりません。両親も、当時は大変驚いていました。そして気が付けば今年医師になって22年目の秋を迎えます。

最初の恩師は血液専門でしたが、2番目の恩師はアレルギー専門の指導医でした。その際も、自らアレルギーを志そうと思ったわけではなく、一緒に診療しようと誘われて多くの患者さんに学ばせていただきながら、気が付けばアレルギー専門医となっていました。向いているとか向いていないとか、深く考えたことはありません。ご縁や与えられた環境の中で、淡々とやってきて今があります。

 「この子は、○○が苦手だから。」「○○に進んだ方がいい。」とかく決めつけてしまいがちですし、家族にそう言われると本人もそう思い込み、可能性の芽が摘まれてしまう可能性も。成長と共に出会う人や影響を受けるものによって、趣味や嗜好、興味関心は変わります。自分ではこれをやりたいと信じて進んできたものに打ちのめされたり、逆に自分では苦手と思っていても、やってみたら周りからすごく評価されたりすることもあります。

他人からの客観的な評価は正しく、自分では見えなかった適性に気付かされます。自身で壁を作らず、フラットな気持ちでいろいろなことに挑戦してみてください。(特に人から誘われた時には)

みなさんの適性は、意外なところからみつかるはずです。

喪失との向き合い方

2022年8月6日

喪失との向き合い方

第37号:2022年8月号

2018年8月に父が他界しました。あれから4年が経ち、昨年秋には母も逝ってしまいました。父は病気療養中だったのですが、母とは予期せぬ突然の別れとなりました。母の推定命日は、奇しくも私の誕生日、「忘れないで!」ということなのでしょうか。コロナ禍で2年近く会っておらず、会いに行く約束をしたわずか3週間前のこと、もっと早くと悔やまれました。そして、母の急逝後1か月も経たないうちに祖母(母の実母)も逝ってしまいました。悲しみにふける間もなく、日々仕事や生活に追われてしまいます。一緒に暮らしていなかったから、また会えるのではないかという錯覚に襲われることもあります。この4年間に、小児科の恩師、お世話になったドクター、知人、11歳と19歳の愛猫達との別れがありました。

 母の葬儀に、伯母(父の姉)が札幌からわざわざ参列してくれました。伯母に会うのは30年以上ぶりだったのですが、「いつもお父さんがあなたのことを話していたから、久しぶりに会う気がしないわ。」と言われて涙がとまりませんでした。4年経ってもまだ、父の死すらも自分の中で受け止めきれていない現実に気づかされました。生前ふらりと電車で遊びに来ていたから、今も最寄り駅で似たような背格好の高齢男性を見かけると、(父のはずがないのに)おもわず何度も振り返ってしまいます。娘のお弁当作りをしながら、母もよく仕事から帰ってきて急いでお弁当を作って塾に届けてくれたなとふと頭をよぎることがあります。あの頃の母は今の私より随分若かった、一体どんなことを考えていたのかしら?もう聞く由もないのですが・・・。小児科医としての礎を築いてくださった恩師との別れもまた、心の支えを失い空虚感に苛まれました。長く一緒に暮らした猫達との別れの後は、ふいに部屋の隅から「ニャー」とでてくる気が

してしまいます。

人は大切なものを失った時、どのようにしてその喪失感と向き合っていくのでしょうか。無理に受け入れる必要も、乗り越える必要もないのかもしれません。抱えたまま生きていくのも、自然なことだと思うのです。ふとした瞬間に想いだし、失った悲しみと、共に過ごした大切な思い出の入り混じる複雑な感情の海に、そっと身を委ねて漂っていたいのです。

 心の中では、これからもずっと生き続けているのですから・・・。

お盆に向けて、みなさんも今は亡き大切な方と共に過ごした時を、そっと想い返してみてください。

人と違うことを恐れない

2022年7月23日

人と違うことを恐れない

第36号:2022年7月号

 「隣の芝生は青い」「無いものねだり」とはよく言ったものです。つい自分のお子さんと他人のお子さんを比べて、このような状態に陥ってしまうことはありませんか。友達が多く活発で、ランドセルを置くと宿題もせずに遊びに行ってしまうお子さんだと、いつもおとなしく穏やかなお子さんが羨ましく思えますし、逆もまたしかりでうちの子もっと社交的になって欲しいなと願うものです。その他にも足の速い子、勉強ができる子、ピアノが上手な子を見ては、うちもああいう才能があったならば・・・。

また、親子といえども当然気質は違います。こういう時は普通こう考えて、こう行動するでしょと親御さんが思うことと、お子さんが全く違うことをした時に、著しくイライラするのは期待と現実のギャップが大きいからです。もちろん、道徳的・倫理的・法的におかしいことをした際はきちんと叱らないといけませんが、そうでなければ本来違っていて当然です。もともと違う人格なのですから。

最近は小学校の授業でもディベート(討論)があり、一つのテーマに関して肯定派と否定派に分かれて討議することや、ペットを飼うなら犬派か猫派かといった正解はないが、各々のプレゼンを通して意見を分かち合ったりしているようです。違いを受け入れて認め合うこと、お互いを尊重し合うこと、これは家庭の中でもとても重要なことではないでしょうか。そうやって育てられたお子さんはきっと、学校でも社会でも相手と自分との違いを認めて、共存できるはずです。また自分が人と違っても不安にならず、自己も肯定できるのではないでしょうか。

個性や才能は本当に人それぞれです。他人のお子さんを羨む前に、また自分と違うことにイライラする前に、ご自身のお子さんの素晴らしさをじっくり観察してみませんか。おとなしいと思っていたけれど、意外にしっかりと人前で意見を言えていたり、我慢強かったり、めげなかったり、絵が上手だったり、読書が好きだったり、よく人間観察していたり、きちんと挨拶ができていたり、日常の忙しさの中で見落としているお子さんの才能を、どうぞこの夏発掘してみてください。金銀財宝お宝はまだまだたくさん眠っているはずです。

 恐れることなかれ、人と違って当たり前。素晴らしい人格を認めて、尊重して、秘めた才能を伸ばしてあげましょう。

どうして勉強しないといけないの?

2022年6月18日

どうして勉強しないといけないの?

第35号:2022年6月号

「勉強しなさい。(宿題しなさい)」は、「顔を洗いなさい。」「歯磨きしなさい。」と同じくらい、日常的な会話に組み込まれているのではないでしょうか。長らく生きている大人からすると、勉強した先の未来を想像することができるため、つい口をだしてしまいます。ただお子さんにとっては、目の前のやるべき勉強と将来は直結しません。それは、将来の夢があるなしにあまり関係はありません。もちろん明確なビジョンがあって、自らこつこつ学ぶことのできるお子さんもいますが、非常に稀です。

「どうして勉強しないといけないの?」の問いかけに、親御さんはなんと答えますか。私なら、「人生を豊かにするため。」「幸せな人生を送るため。」と答えます。幸せの価値観は人それぞれ違うし、勉強ができなくても幸せにはなれるはずという反論が返ってきそうですが、勉強=学びです。

よく算数の問題なんて日常生活に何の役にも立たないから、やりたくないとなります。実際には、算数の問題そのものが直接的に社会で役立つわけではなく、算数(数学)の公式や数学的な発想は、何か問題が生じた際に、それを理論的に考え、感情的にならずに冷静に判断し解決するための思考力が身に付きます。理科や社会や国語もそうです。歴史を知り、地理を知ることで旅行は数倍楽しくなります。生物や地学や化学を知ることにより、世の中の自然現象をより深く理解することができます。漢字やことわざ、慣用句を知ることにより、多くの本を読み、他人の気持ちを思いやることにも繋がります。勉強すること(テストの点数を上げること)自体が目的ではなく、学ぶことにより得た知識や思考力によって、よりよく生きていくことができると私は思います。

また、人生の選択肢が増えます。どの分野に行くにしても、進みたい道が決まった時に迷わず踏み出せる勇気にもなり、それを叶えることができるからです。お子さんにだけ勉強を強いても、なかなかやる気スイッチは入らないものです。大人も日常的に学んでいる姿勢を見せて、時には一緒に机に座って「今学校でどんなことを勉強しているのか教えて!」と聞いてみる。過去に親御さんが、勉強ができたかどうかなんて関係ありません。今から新しいことを一緒に学んでいこう、人生を豊かなものにしていこうという発想が大切なのではないでしょうか。

共に学び、成長する。幸せな人生を歩むために、だから勉強は必要。

自分の顔に責任を持つ

2022年5月10日

自分の顔に責任を持つ

第34号:2022年5月号

 生涯数々の名言を残したココ・シャネル。その中でも、私が好きな言葉に「Nature gives you the face have at twenty. Life shapes the face you have at thirty. But at fifty you get the face you deserve.  20歳の顔は自然からの贈り物、30歳の顔はあなたの人生、でも50歳の顔はあなたの功績。」というものがあります。

 何を隠そう(隠していませんが)、私も2025年には50歳になってしまいます。若さという自然な美しさの顔。様々な人生経験を積んで内面的にも成長して作られた顔。最後はその人の生き様や蓄積された価値そのものが表れてくる顔。

「顔」にはいろんな意味があります。いわゆる目・口・鼻がある部分、顔立ち(彫りの深い顔)、表情(浮かぬ顔)、顔ぶれ(顔をそろえる)、体面や名誉(顔をつぶされる)、知名度(なかなかの顔だ)、代表するもの(日本の顔だ)、姿(顔をのぞかせる)等、身体的な部分を表すのみならず、その人自身や組織を表す意味でも広く使われています。

今みなさんはどんな顔をしていますか?お子さんを怒ってしまった直後の顔を鏡で見たら、きっと鬼のような形相のはずですよね(笑)。疲れて、ひどく落ち込んだ時は口角が下がり、顔色も悪く、表情も硬いことでしょう。逆に楽しい時間を過ごしている時は、無意識に笑顔になっているはずです。そう、顔は私たちの日常や内面を面白いくらいに表わしています。日ごろから感じていることや、考えていること、口に出す言葉も含めて、そのひとつひとつがその人の顔を作っていくのではないでしょうか。そうであれば、できるだけ口角を上げて、穏やかで楽しい気持ちで日々過ごしたいものですね。その積み重ねがきっと5年後、10年後のみなさんの顔になっていくのですから。

自分の顔に責任を持って生きたいものですね。

二分の一成人式

2022年4月7日

二分の一成人式

第33号:2022年4月号

 「私は、子どもの病気を治すことのできる人になりたいです。理由は、5歳の時医師であるお母さんが、患者さんが苦しそうな時に、冷静に話を聞いて診察していたのを見て憧れたので、子どもの病気を治すことのできる医師になりたいと思いました。また手術等をする外科医ではなく、人とコミュニケーションがとれて、言葉で通じ合える医師になりたいと思います。そのために今できることは、いろいろな勉強をして、人とコミュニケーションをとって優しい気持ちを作っていくことが大切だと思いました。これからもそれを達成できるようにがんばりたいと思います。また私の好きな名言は、“聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥”です。これからもいろいろな人にいろいろなことを聞いて成長していきたいです。」

震災の年に産まれた10歳の娘が、先日学校の参観日(オンライン)で発表していました。リアルタイムで観ることはできませんでしたが、後から録画したものを観て胸が熱くなりました。娘が幼い頃は勤務医で、お盆も年末年始も働いていました。朝保育園に預けて働いて、仕事が終わると迎えに行く日々でした。日曜日に娘を連れて出勤することもありました。仕事と生活に追われて必死で、いつも疲れていたので優しくできず、娘の寝顔を見て後悔することもしばしばありました。

私が娘に「医者になりなさい。」と言ったことはこれまで一度もありません。5歳の時にクリニックを開業して、今年で5年目を迎えるタイミングで、10歳の娘がこのような気持ちを持っていてくれたことがとても頼もしく、誇らしく感じました。これから思春期に突入して反抗期を迎え、気持ちが変わってしまうことももちろんあるでしょう。それはそれで受け止める覚悟は、すでに持ち合わせています。この10年間、子育てをしてきたと思っていましたが、育てられているのはまさに親の方です。「子育ては親育て」といいますが、子どもの存在で親にしてもらっている、親になってみて初めてわかる親の苦労や気持ちがたくさんあるものです。

私を10年間親として育ててくれた娘に、心からの敬意を払ってこれからも共に生きていこうと強く思いました。娘が好きな名言“聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥”は、私が小学3年生の時に父親に教えられて大事にしてきた言葉で、幾度となく話してきました。父は2018年に他界しましたが、時を超えて受け継がれる嬉しさを噛みしめながら、あらたな年度を迎えます。

 

 

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