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院長コラム

次世代へ繋いでいく

2025年4月10日

次世代へ繋いでいく

第69号:2025年4月号

 赤ちゃんの頃からアレルギーで診させていただいたお子さんが、18歳になり先月高校を卒業され、クリニックも卒業されました。中学生の時には、甲状腺の病気も患い、クリニックから病院へご紹介し入院治療し、今もまだ継続治療中です。最後の日にお母さまと思い出話に花が咲きました。お子さんの成長を親御さんと共に喜び合えるのも、小児科医の醍醐味だと思っています。最後に「何か今後またお役に立てることがあればおっしゃって下さい。」と話すと、「次は孫ですかね。」と言われ、内心えー!!と思ったのですが。流山で小児診療に携わって今年20年となります。クリニックを開業して8年目となりますが、幼少期に病院でお会いしたお子様たちが、お母さんになってこられる日もそう遠くはないと改めて実感しました。今のところまだいらっしゃいませんが。

 昨今少子高齢化は加速していく一方です。子どもがいる人生いない人生どちらを選択するかは一人一人の自由です。産みたくても様々な事情で産めないこともありますし、産んだ後の不安も尽きないと思います。専業主婦の母親と外で働く父親が当たり前だった時代とは異なり、仕事も家事も育児もお互いにパートナーとして尊重し協力していく時代になったとはいえ、まだまだ男性の長時間労働により家事や育児負担が女性に大きくのしかかっているのが現状です。子どもの発熱は必ずといっていいほど母親が呼び出され、保育園に迎えに行き受診して自宅看護する。社内では、「子持ち様」と揶揄される。

 私自身は、子供のいる人生で心から良かったと思っていますが、ずっと仕事も続けてきたので、幼少期は日々生きるのに必死過ぎて正直あまり記憶がありません。寂しい思いをさせてしまったかもしれないし、家族のみならずもっと他人を頼っても良かったかなという思いもあります。中学生になった今では、お互いに愚痴り合ったり、励まし合ったり同志みたいな関係を築けているので、その時々悩みながらもがきながら出してきた答えに正解などないし、子どもはたくましく育っていくものだなと思います。お子さんからさらにお孫さんへ、次世代に繋いで頼られるそんな小児科医でありたいと、新たな決意と共に新年度を迎えます。

 混沌とした世の中ではありますが、次世代に繋げていきたいですね。

ご縁を大切にする

2025年3月11日

ご縁を大切にする

第68号:2025年3月号

 昨年の夏、大学の3年後輩で現在某大学の小児外科の准教授をしているドクターと7年ぶりに会いました。クリニックが開業した時に、姉(病理医で30年来の友人)と共にお弁当を差し入れてくれました。彼女は研究職なので、2年間カナダの小児病院での研究を終えて帰国したタイミングでした。この7年間連絡をとることはなく、また2人きりで会うのも初めてでした。久しぶりに会って、彼女が厚労省で医系技官(専門知識をもって保健医療に関わる制度づくりの中心となって活躍する技術系行政官)を勤めた話や大学時代の思い出話にも花が咲きました。

 先日、彼女からお母さま(現在前橋在住:現役の研究職)が急遽都内にでてくるから、一緒にご飯行きませんかとお誘いがありました。お母さまにお会いするのは実に22年ぶりでした。私の母とも家族ぐるみで交流があったのですが、気が付けばそれほど長い時が経っていました。「嘉代ちゃん、全然変わってない!」と開口一番(もちろんそんなわけはないのですが・・・)。

実は22年前、私が研修医の頃体調を崩した際に友人の病理医(長女さん)と病院の寮まで車で来てくれて、連れ出してご飯を食べさせて頂き、さらにスパで温かいお風呂にもいれて下さいました。そのお礼もきちんと伝えられないまま時が過ぎ、あの時来てくれていなかったら、今の私はいないと言っても過言ではありません。まさに恩人です。私の両親が他界したことや、昔は決して聞くことがなかったお母さまの人生、現在の研究や仕事の話、親子関係を始めとした人間関係の話をたくさん伺うことができました。私は今年50歳になりますが、50代・60代・70代を生き抜いていくことに、大変勇気を頂いた貴重な時間でした。

ご縁がある方とは、何年何十年経ってもまた出会えて、元気をもらえる素敵な時間を過ごせるものなのだと改めて思いました。小児外科医の彼女とも、お互いに大学を卒業して20年以上の時を経て、自分のおかれた場所でひたむきに頑張る姿に励まされました。同じ大学の後輩であることが誇らしく感じられました。

3月は別れの季節、4月は新たな出会いの季節。お子様たちには、人とのご縁を大切にして、心豊かな人生を送ってもらいたいと強く願うこの頃です。

専門家と繋がる

2025年3月1日

専門家と繋がる

第67号:2025年2月号

 勤務医時代、お子さんの受診にいらしたお母さんが「〇〇クリニックで処方されたこの薬(抗生剤)、強いから飲ませない方がいいとママ友に言われたので飲ませませんでした。」最近でも、「喘息治療について夫と相談して、今はまだいいねってなったので、やりません。」もちろん助言を受けた相手、相談した相手は医療従事者ではありません。医療従事者は、患者さん(小児科の場合親御さん)が納得して治療を始められるように、そのような診断にいたった経緯を丁寧に説明し、医療者に対して信頼を持ってもらうことが前提にあります。

ただどれだけ説明を尽くしても、われわれ医療者と信頼関係を築いてもらえず、自己判断でやらない、始めたけど途中でやめてしまうということは多々あります。必要性や優先性を感じられないということもあるでしょう。大人であればご本人が治療を拒否しても、ご自身の意志で責任を持って選択できますが、お子さんの場合そうはいきません。もちろん医療者側にも問題があり、納得した説明を受けていないのにただ処方だけされた、たくさん薬をもらいすぎてどれを飲んでいいのかわかないというケースも見受けられます。薬を処方する側にも、相応の責任が問われます。なぜなら病院で処方される薬には、必ず副作用が伴うからです。副作用のないお薬は、作用もしません。

だからこそ、信頼できる専門家と繋がって欲しいと常々思っています。冒頭のママ友やパートナーの事例のように、専門家でない人の意見に惑わされず、お子さんにとって今何が必要なのかを冷静に考え、判断していただきたいものです。私自身、信頼できる内科・婦人科・歯科・皮膚科の先生方に診ていただいたり、治療していただくことがありますが、自身が医療従事者であっても勝手に自己判断や解釈せず、教えていただいたことを改めて学んだり実践しています。

 もちろんこの話は、医療分野に限りません。正しい情報や知識を得るには、その分野で長年経験を積んでこられた、信頼できるその道の専門家と繋がることが、早期解決の一助となることを確信しています。繋がった後も一方的に依存することなく、ご自身も学びそれを実践する姿勢が問われます。

 専門家と繋がり、信頼関係を築き、さらにご自身も学び続けましょう。

共感すること

2025年1月14日

共感すること

第66号:2025年1月号

思春期のお子さんとの関係に悩む親御さんはたくさんいらっしゃいます。むしろ悩みがないという方が少数派ですよね。30代後半で出産された場合、母の更年期と娘の思春期がぴったり重なり、女性ホルモンが急激に減っていくため不調をきたす人と、女性ホルモンが急減に上昇して不安定になる人が一つ屋根の下に暮らすことになります。

私は「ルームシェアしている、歳の離れた友人」くらいの距離を意識することをおススメしています。一緒に暮らしていく上で、お互いに快適に暮らしていくためのルールをさらりと話すのです。「からのお弁当は、明日また美味しいおかずを詰めたいから流しにだしておいてね。」「汚れた体操着は洗濯機へダーイブ。」「机の上でダンスしているプリント達を、整列させておいて。」間違っても「なんで○○してくれないのよー!(イライラ)」「何回言わせるの!!(イライラマックス)」「もういいかげんにしてよー!!!(そのうちイライラの原因がよくわからなくなる)」このような状況は、精神衛生上良いことが何一つありません。感情ベースではなく目標ベースを意識しましょう。

さらに意外にできていないことがあります。話を聞いて気持ちに共感することです。大人はすぐに自身の生きてきた経験や価値観を押し付けて、解決方法を一方的に提示しがちです。お友達に対するネガティブな気持ちを話した際に、「そんな風に悪く言わないの」「そんな子とは付き合うのをやめなさい」等一刀両断してしまう。厄介なのが、本気で子供のためと思い無意識にやっているのです。感情を否定された側は、もう二度と話をしなくなります。大人でも同じですよね。自分の正直な気持ちを話したのに、それを否定されたあげく一方的に解決方法を提示されれば、もうその相手に本音を話すことはなくなるでしょう。

負の感情にも耳を傾け、本人の(本当はどうしたいのかという)気持ちに寄り添うこと、親子といえども人格の違う歳の離れた大切な人として尊重すること。そしてなにより、親御さん自身がご自分の不安をお子さんに投影させることがないように、人生を楽しみましょう。

2025年新たな年の幕開けです。目標ベースでよい人間関係を、そして相手に共感することを意識していきましょう。今年もよろしくお願い致します。

思い描いたのと違っても

2024年12月14日

思い描いたものと違っても

第65号:2024年12月号

 受験生にとって今まさに追い込みの時期ですね。中学受験、高校受験、大学受験それぞれ大変さは異なりますが、インフルエンザを含む感染症が流行る時期で体調面の不安もさることながら、精神的にも今が一番きつい時期ではないでしょうか。憧れて目指してきた学校があり、そのために数年間努力してきたお子さんもいることでしょう。

私もかつて中学受験を経験しました。どうしても行きたい中学があり3年間頑張ったものの、4校受験した中で第1志望のその学校だけ落ちてしまいました。当時はもちろんインターネットなどなく、受験日の翌日に校舎中庭に受験番号が張り出されるのですが、何度探しても自分の番号がみつからない悔しさに中庭で2時間泣き続けたことを今でも思い出します。それでも合格した中で選んだ学校に行き、6年間を過ごしました。1年間浪人して挑んだ大学受験も、残念ながら志望した学校からは合格をいただけず、もう1年頑張ろうと思っていた矢先、唯一選んでいただいた学校に入学し無事に卒業して資格をとりました。

受験に限りませんが、人生において精一杯やっても結果が伴わず悔しい思いをする場面は多々あります。不本意で、不甲斐ない自分を情けなく思うこともあるでしょう。私の経験からすると、その結果や事実を自身でどう受け止めて前に進んでいけるかが大切だと思います。たとえ目指したものと違う着地点となってしまっても、そこで気持ちを新たに出会いや経験を楽しめれば充実した日々が送れるでしょう。一方で行きたい学校じゃなかった、こんなはずじゃなかったといつまでも結果を引きずって不貞腐れてやる気を喪失してしまうと、貴重な時間を無駄にしてしまいます。そもそもチャレンジできること自体がとても幸せなことであり、何事もおもいきりぶつかってみて、どのような結果になってもチャレンジした自分を誇らしく思い、また協力してくれた周囲に対して心から

感謝できれば、全て終わった後に清々しい風が吹くことでしょう。

思い描いたものと違っても大丈夫、何が起こるかわからないから、だからこそ人生はおもいしろい。

おもいきりチャレンジして下さい。皆さんを応援しています!!

 

京都探訪に思いを馳せて

2024年11月2日

京都探訪に思いを馳せて

第64号:2024年11月号

 先日第73回日本アレルギー学会学術大会のため、京都を訪れました。学会参加が目的のため、ホテルと会場である国立京都国際会館の往復のみで、残念ながら今回は観光できませんでした。京都駅に降り立った際の、あまりの混雑ぶりにオーバーツーリズムを肌で感じました。ホテルのエレベーターでお話したベルギー人の男性は、もう20回以上訪日しているとのこと。われわれがそんなに複数回特定の国に旅行しないことを考えると、大変驚きました。2-3週間のお休みを確保して列島縦断する方も多数いて、やはり東京や京都は外せない様です。それだけ日本が魅力的な国であることを、誇りに思いました。

 昨年観光で京都を訪れた際は、銀閣寺から哲学の道を歩いて、永観堂や法然院、大豊神社を巡り、水路閣が美しく2時間サスペンスでも登場する南禅寺、広大なお庭が素晴らしい平安神宮を巡り、翌日は伏見稲荷、宇治に足を延ばして世界遺産の平等院鳳凰堂を巡りました。京都は見どころが多いのですが、修学旅行のようによくばらず、エリアを決めてじっくり拝観すると大人旅になることがわかりました。「そうだ、京都、行こう。」は東海旅客鉄道が1993年から実施しているキャンペーンだそうで、30年前に心から京都に行きたいと思っていなかったことを考えると、わびさびを感じる年齢になったのでしょうね。

 そして、次京都に行ったらどのエリアをじっくり回ろうかと考えていた帰りの新幹線、名古屋を過ぎた辺りで、「2号車で急病人がでています。この中でお医者さんいらっしゃいませんか?」のアナウンス。ゴールデンウィークに引き続き、今年2度目です。慌てて行くと、30代のスーツ姿の男性が窓際の席で気分が悪いとのこと、迷走神経反射(疲労や緊張、睡眠不足等で副交感神経の1つである迷走神経が刺激されて、反射的に血圧や脈拍が下がる)と考え、座席3つ分に横に寝てもらい、枕はなかったので他の座席からシート部分だけをとりだし、足元に2つ重ねて入れて、血圧を測ろうとしたのですが聴診器がボロボロ過ぎて断念し、パルスオキシメーターを指につけ、頸動脈や橈骨の脈もしっかと触れており、不整脈もないことを確認していると、少しずつ回復されてきたので私は退散しました。緊急停止の必要は?と聞かれ、その必要はないですと即答し品川を過ぎた辺りで、女性の車掌さんがその男性が無事に品川で降りたことを報告にきてくださいました。今後新幹線に乗る際は、マイ聴診器必要かな。

その子(人)らしさでよい

2024年10月5日

その子(人)らしさでよい

第63号:2024年10月号

「男の子は男の子らしく・女の子は女の子らしく」これを性別役割分業と言いますが、みなさん未だにこの呪縛にとらわれていないでしょうか。多様性が求められる令和の時代においても、明治時代から続く家父長制が、日本は根深く残っていると感じています。選択的夫婦別姓が法律上認められないのも、個よりも家を重んじるそういった価値観が強いからだと思います。

 とかくお母さんは、いくつになっても男の子の身の回りのお世話を焼くことが多いのではないでしょうか。幼いうちは仕方がありませんが、10歳過ぎたらどんどん手放していく必要があります。なぜなら男女関係なく、掃除も洗濯も料理も生きていく術は将来個人で担っていくものであり、誰しもが生きる上で必要だからです。将来お母さんの役割をパートナーに求めることは、まさに性別役割分業の最たるもので、これからはますます時代錯誤になっていくことでしょう。実際に家事や育児の女性負担が大きい国(日本や韓国等)は少子化に歯止めが効きません。

男女問わず、個として経済的にも精神的にも生活的にも自立しているからこそ、お互いに対等なパートナーとして協力しあって生きていくことができると私は考えています。男らしや女らしさを一方的におしつけることは、個人のアイデンティティー(自分らしさ)を踏みにじることに等しいからです。性別に関係なく、個性が真に尊重される時代はすぐそこに来ています。子育てにおいても、他の子との比較や性別によるらしさをおしつけるのではなく、その子らしさを認めてあげることがなにより大切です。そして親たち自身も、性別役割分業を手放して、もっと自分らしさを表現し自由に生きていけばいいのです。人間関係においても、お互いにその人らしさを認め合えれば、より深く温かい交流ができるのはないでしょうか。

これから大切なことは、今まで押し付けられてきたあらゆる古い価値観をまずは疑ってかかること、そして自分自身の心の声に耳を傾けて自分らしさとは何かを問うこと、さらに子どもたち一人一人のその子らしさを尊重すること。

大人もそろそろ手かせ足かせを外して、自分らしく自由に生きていいのですよ。そのためには、自分で生き方を選ぶ覚悟と努力が必要ですが。

5年間書き続けて

2024年8月31日

5年間書き続けて

第62号:2024年9月号

 院長コラムを書き始めて丸5年が経ちました。毎月欠かさず書いてHPにもアップしてきました。始めた当初は、詳しい医療情報を診察室で全てお伝えすることは厳しいため、後からじっくり読んで理解を深めていただきたいとの思いでした。その後内容は医療にとらわれず、子育て、教育、看取り、生き方、社会情勢等さまざまなテーマに広げていきました。小児科医だから、子育てが上手で悩みがないなんてことはありません。悩みながらもがきながら、子育てをしてきた自身の経験の中で考えてきたこと、クリニック開院7年の中で両親を亡くしたこと、医師として生きる中での苦悩や葛藤があること、そういった私自身が日ごろから考えていることを皆さんにお伝えしたいと思ったからです。

 ありがたいことに、最近は様々な分野の方(同業者の先生方、製薬会社の方々、薬局のスタッフさん、保護者の方々他)から、「コラム読んでいます。○月号の記事がすごく響きました」等具体的な反響をいただくことが増えてきました。喜んでいただくために書いているわけではありませんが、結果的に皆さんの心に少しでも響いたのならば大変嬉しい限りです。

 進化論でダーウィンは「最も強いものが生き残るのではなく、最も賢い者が生き残るのではなく、雄一、生き残る者は変化できるものである。」という名言を残しています。親世代の昭和の古い価値観を押し付けられて、そこから抜け出せず苦しむ若い世代をみることがあります。男性のみならず、男性や自身の親からそういった価値感を深く刷り込まれた女性達もまた、今の時代にそぐわない考えを抱いています。本人が抱いている分にはいいのですが、それを若い世代に押し付けてくるのはいい加減やめていただきたいと強く思うこの頃です。

 時代に合わせて考え方も行動も変化できる人が、どんな時代であっても自ら道を切り開き、生き残っていけるのではないでしょうか。私自身、思春期あたりまで昭和にいましたが、中学生の娘をみていると、本当にあの頃とは全く違う時代を生きているなと感じています。

 変化することを恐れず、価値観のバージョンアップをしていきたいですね。これからもはりきってコラム書き続けます!!

丁寧な言葉で暮らす

2024年8月31日

丁寧な言葉で暮らす

第61号:2024年8月号

 「お前、ふざけんなよ!」「てめー、いい加減にしろよ!」街中で親御さんがお子さんに投げかけていた言葉です。こういう光景にしばしば遭遇します。私は、例え家族であっても、「お前」や「てめー」なんていう呼び方をされたくないですし、そんな言葉遣いをする人とはそもそも一緒に暮らせませんが。小学生でもびっくりするくらい汚い言葉を使うお子さんがいるのは、日常的に一番近い大人である親御さんの影響が、少なからずあるのではないかと思います。

 他にも、「キモイ・ヤバイ・エモイ」の頻発、「なんかー」の連発、大人でもお友達言葉でしか話せない方は結構多いものです。相手に自分の気持ちや状況を伝えるための道具である言葉は、その人自身の人柄や品格を顕著に表わします。汚い言葉を使えば使うほど、それは自分に返ってくるので、温かい人間関係からは遠ざかっていきます。なぜならば、心ある人が寄り付かないからです。お世話になっている心理カウンセラーさんが、メールマガジンで「人間の構成として、心ある人間:全体の20%、心無い人間:全体の20%、どちらでもない人間:全体の60%、あなたはどの人間と繋がりたいですか?そして、あなた自身はどの人間になりたいですか?」と書いてらっしゃいました。

 改めて、私自身がどうしたいのかを考えさせられました。家族でも、友人でも、仕事仲間でも、患者さんに対しても、まずは丁寧な言葉遣いをするところから全ての人間関係が始まるのではないかと思います。良好な関係を築いていくには、家族であっても朝はきちんと挨拶をする、「ありがとう・ごめんね」を言葉で表すことが大切だと思います。一方的に感情にまかせて攻め立てたり、汚い言葉(いわゆる暴言)を吐いたりしないのが基本です。そうは言っても、感情的になってしまうこともあり、そういう時は後で素直に謝ればいいのです。

 昨今家庭内のモラルハラスメント(精神的DV)が問題となっています。している方もされている方も気が付きにくく、家庭内のため表面化しない分、後々深刻なダメージを受けてしまうこともしばしば。

日頃から丁寧な言葉を意識して、心ある人と繋がり、自身も心ある人間になりませんか。

女性医師たちに支えられて

2024年7月4日

女性医師たちに支えられて

第60号:2024年7月号

 4-5月と複数の不調に見舞われました。そして、内科・婦人科・口腔外科の先生方に診ていただきました。皆様女性医師です。男性医師のことを男医とは呼びませんが、女性医師はなぜか昔から「女医」と呼ばれますよね。女性医師が珍しかった頃の名残なのでしょう。まあ私もその一人ですが、セルフケアで十分なら

ばもちろん自力で乗り切りますが、今回はそうではなかったため専門の先生方しかも全員女性の先生方に大変お世話になりました。

 皆様迅速に対応して下さったおかげで、すぐに治療に結びついたため最近は随分回復してきました。女性医師って、改めて頼りになり信頼でき、安心できるなと自身が患者になってみてつくづく実感しました。もともと私は、女性診療外来(内科・婦人科)を志していたので、尚更そう感じたのかもしれません。

私が研修医の頃は、まだ女性医師に対する風当たりが強くて、患者さんからも「女医なんて信用できない」とか、年配の男性医師からも「生意気だ」とか、(まあ本当に生意気だったのかもしれませんが(笑))、看護師さん達からも同期の男性医師に比べると、あからさまに厳しい言葉を投げかけられることもありました。ハラスメントという概念にも乏しく、セクハラ・パワハラ・モラハラに対する対応もほぼありませんでした。まだまだ女性医師の肩身が狭かった時代でした。正直(医師を)続けていけないと思っていた時期も、長くありました。医学部の女子受験者の得点を減点して、合格者数を抑えていたニュースも記憶に新しいと思いますが、そういう差別的風潮は昔からあったわけです。

 あれから20年以上の時が過ぎ、時代は大きく変わりました。医師としても一人の女性としても経験を積み重ねてきた今、こんなにも女性医師の皆様に助けられるなんて感謝の気持ちでいっぱいです。先生方が、患者である私にひたむきに向き合って下さる姿勢に、改めて私自身も医師として初心にかえり、より丁寧に皆様の心と身体に向き合わせて頂きたいと思いました。

 JOY(女医)=喜び・うれしさ

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