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自分の人生は自分で切り開いていく

2023年12月8日

自分の人生は自分で切り開いていく

第53号:2023年12月号

 小学校2年生のKちゃんは、夏休み明け後の給食の時間に突然泣き出してしまいました。夏休みに札幌の祖母と叔父・叔母の元へ一人で(ジュニアパイロットを利用して)遊びにいきました。叔父と叔母夫妻はとても仲が良く、まだ当時子どもがいなかったのでKちゃんのことをものすごく可愛がってくれました。一緒にテニスをして遊び、小樽にも連れて行ってくれて猫のガラス細工を買ってもらいました。楽しい時間が終わり、2学期が始まりました。Kちゃんの両親は共働きで常に忙しく、エンジニアの父親は出張にでかけると1-2週間帰ってきません。常勤で働いていた看護師の母親も、週1回は夜勤がありました。今でいうところのワンオペ育児でした。父の出張と母の夜勤が重なると、Kちゃんは小学校近くの知人のおばさん宅に預けられました。おばさんのお子さんたちはもう成人していて、すでに働いていました。泊まって翌朝小学校に登校しました。

 忙しい両親は次第にすれ違い、いつしか家の中で会話がほぼなくなっていました。たまに家族で食卓を囲んでも団欒はなく、Kちゃんは父親に話しかけ、母親に話しかけ、なんとか会話を繋ごうといつも必死でした。Kちゃんは一人娘だったので、自分が頑張らないとこの家族は成り立たないと常に緊張状態で、お家が休まる場所ではなくなってしまいました。そのうちKちゃんに異変が訪れます。人が何を言っているのかが気になってしょうがなくなります。「3日前お父さん何話していたの?」 学校でも学童でも電車の中でも、気になって気になっていちいち確かめたくなりました。お友達が学童で先生に話しかけていると、そのお友達が去った後先生のところへ行って、「〇〇ちゃんは今何って言っていた?」学童の先生はその都度優しくKちゃんに話しかけてくれました。母親がつとめていた病院の小児科の先生にも話を聞いてもらいました。

 3年生になり、同級生に髪の毛のない女の子Nちゃんがいました。その子の自宅はKちゃんの家と学校の間にあったので、Kちゃんは朝その子を誘って一緒に学校に行くようになりました。小児がんで抗がん剤治療をしていたから、髪の毛が抜けてしまったようです。担任のA先生は、ふさぎがちだったNちゃんを誘って学校に来てくれて嬉しいと、Kちゃんに表彰状をくれました。A先生は、子どもたちが素敵なことをすると、いつも表彰状をくれる優しい先生でした。

ある日Kちゃんがお友達の家に遊びに行くと、お友達のお母さんが塾で勉強すれば地元の中学ではない別の学校に行けることを教えてくれました。Kちゃんの地元の中学校は当時、校内暴力がひどくて校舎の窓がバリンバリンに割れていました。あそこの中学には行きたくないと思ったKちゃんは、帰ってから両親に頼んで、塾に行かせてもらうことにしました。塾では違う小学校に通うお友達もできて、切磋琢磨しながら3年間勉強して別の中学に無事合格しました。

 中学では軟式テニス部に所属して、部活に没頭しました。区大会で優勝し、私立リーグ団体戦でも優勝して卒業するときに学校からスポーツ賞をもらいました。両親はというと相変わらず忙しく、家の中で会話はありませんでしたが、Kちゃんも忙しくしていたので段々気にならなくなりました。腰を痛めてしまい、高校では部活を続けられませんでした。高校を卒業し、大学に進学し、仕事を始め、紆余曲折あり、今Kちゃんは自分の生まれ育った街とは別の街で、自分の名前のついたクリニックで小児科医として働いています。両親はKちゃんが大学生の時に別居し、卒業後に離婚しましたが、晩年は母親の病気をきっかけにまた一緒に暮らしていました。その両親ももうこの世にはいません。

両親に、育った環境に、いろいろ苦悩したこともたくさんあったけれど、大人になったKちゃんが今思うことは、自分の人生は誰のものでもないから、自分で切り開いていくものだということ。