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院長コラム

好きなことをみつける

2024年3月5日

好きなことをみつける

第56号:2024年3月号

 この春卒園や卒業を迎える皆様、おめでとうございます。親御さんも様々なエピソードが走馬灯のように駆け巡っているのではないでしょうか。開院した当初、まだ保育園児(年長)だった娘もこの春小学校を卒業します。あっという間の6年間でしたが、学校でも学校外でも様々な経験をし、素敵な人たちとの出会い、そして受験を通してたくましく成長してくれました。入学式に校門前で撮った写真を見返すと、その頃から身長も36㎝以上伸びました。性格も気質も私とは全く違う娘ですが、最近では年の離れた友達感覚で楽しい会話が成り立っています。そして私自身も、娘の成長を通して学ぶこと、また反省することも多かった小学校生活でした。

 中学校に入学したら、自分自身が夢中になれるものを見つけて欲しいと願っています。勉強のみならず、部活でも、学校行事でも、学校外のものでも何でもいい。とにかく時間を忘れて没頭できるもの=好きなことです。テレビ朝日の「博士ちゃん」という番組に出演されるお子さんたちは、みんな好きなことを生き生きと語っています。エジプト考古学に魅せられた女の子、葛飾北斎を敬愛する男の子、野菜ソムリエ、城マニア、地図マニア他、興味のある分野をとことん掘り下げて日々その知識を更新しています。

インターネットが普及して、必要な情報はいつでも検索できるようになりました。さらには生成AIの誕生により、我々の生活は今後加速度的に便利にはなっていくでしょう。AIにとって代わられる仕事がでてくるという議論も盛んですが、それでも人としての尊厳は変わることなく、むしろ優しさ、思いやり、繋がり、気遣い、心配り、モラルや敬意といった人としての基本的に大切な部分の価値が、より一層増していく世の中になると私は思っています。

 自分の好きを見つけて没頭すること、人との繋がりの中でお互いを尊重し、励まし合い支え合いながら成長できること、お子さん達にはそういう人間力を磨いて素敵な大人になってもらいたいと切に願っています。そして我々大人も、それをサポートできるように学び成長し、人間力を磨いていきたいものです。

皆様の新たな旅立ちを心よりお祝い申し上げます。

万能薬はない!

2024年2月10日

万能薬はない!

第55号:2024年2月号

 親御さんにとって都合のいい薬(欲しい薬)を希望されても処方はしていません。薬をもらうこと自体が目的で受診されている方がいらっしゃいます。それならば、ドラッグストアでいいわけです。われわれは、問診をとり診察させていただいた後、今のお子さんの病状をご説明し、その症状を改善するのに繋がると判断すれば、必要最小限にして処方しています。理由として副作用のない薬はないこと、そして飲む必要がなければ自然に治るからです。外用薬も同じです。ヒルドイドは単純な保湿薬ではなく、列記とした皮膚の治療薬であり、「皮脂欠乏性湿疹」という病名をつけて本当に必要な方のみに処方しています。

 ウイルスの種類やお子さんの体質の違いによって、治るまでの期間は様々です。咳や鼻汁といった風邪症候群でも、数日以内に改善することもあれば、RSウイルスやインフルエンザウイルスでは気道の炎症が強くなるため、咳が数週間続くことや、コロナウイルスでは数か月続くこともあります。本来人間には、自然治癒力が備わっています。病院を受診して薬を飲めば、魔法のように良くなると期待して、すぐによくならないともっと強い薬が欲しいと翌日に受診され、またいくつものクリニックを転々とされる方もいます。

 感染して発症して数日後にピークを迎えて、その後徐々に改善していくものです。高熱が続いたり、呼吸状態が悪化したり、眠れない、食べられない、中耳炎や肺炎、ひどい脱水等が疑われる場合には、診察後に必要に応じて追加の薬を処方したり、場合によっては入院できる施設をご紹介しています。処方の必要がない旨をいくらご説明しても納得していただけず、ひたすらもっと強く効く薬をと希望してくる方は、そもそも医療者の診療を信用していない、もしくは病気は薬ですぐに良くなるはずだと誤解されているのではないでしょうか。

 流山市の小児科医の会議で、ある先生は「子どもの病気の9割は自然に治る。」とおっしゃっていました。まさにその通りです。一部の特殊な病気を除いては、自然に治ります。私は診察前に、「診察させて下さい。」とお声掛けをしています。決して一方的に診ているとか治しているなんて思っていません。これまで積み上げてきた知識や技術や経験を元に、改善に向けてあくまでアドバイスをして、みなさんご自身の力でよくなっていくのを、ほんの少し後押ししているにすぎないのです。われわれのアドバイスを聞いて納得し、やってみるかどうかは、ご自身やご家族の問題です。やってみたけれど思うように改善されない場合は、その都度話し合い、再度診察させていただき、新たな一手をご提案してまた実行していただく。この繰り返しです。ただし重症な病気の場合は、先述の通りその場で速やかに対応する必要があります。

 何度も病院に来たくないから、すぐになんとかして欲しいから、まだ起こってもいない不安を抱えて、治療が思い通りにならないと一方的に医療者や薬のせいにして「治らない」と文句を言われる方がいます。それでは到底信頼関係を築いていくことはできません。これは医療の世界に限ったことではないと思っています。自分達の問題に対して、自分達でできるケアが他にもっとないのか、しっかり考えたり話し合っているのでしょうか。

 万能薬はありません。良くなる力を信じて、お互いに敬意を払い、医療者と信頼関係を築いていきませんか。

 

 

自立するということ

2024年1月9日

自立するということ

第54号:2024年1月号

 子育ての最終ゴールは、お子さんが自立した大人になり社会にでていくということではないでしょうか。では自立するということはどういうことでしょうか。広辞苑で「自立」と引くと、「他の援助や支配を受けず、自分の力で判断したり身を立てたりすること。ひとりだち。」とあります。まずは経済的な自立、自分で自分を食べさせていけること、生活できることだと思います。次に、精神的な自立、自分の考えを持ち、学び、自分の言動と行動に責任を持ち、自分の機嫌を自分でとれることだと私は思います。

 お子さんは当然経済的には自立していませんが、精神的にすごく自立しているお子さんもいます。また大人でも、経済的には自立していても精神的に自立していない人、経済的にも精神的にも自立していない人もいます。前者は支配的な人が多く、後者は依存的な人が多いと感じます。支配的な人は、相手が自分の思い通りに動かないと一方的に怒りをぶつけてきては、こちらがあたかも悪いような錯覚をおこさせます。依存的な人は、自分がこんなに傷ついた、傷つけられたと被害的となり相手を責めます。支配的な人は医療者に対して、「無責任だ!」という言葉をよく使い、依存的な人は「冷たい!」という言葉をよく使います。

 つまり、支配や依存と無縁で自立している人のベースにあるのは、信頼や尊敬であり、自分がどう感じるか、どうしたいのか、そのために今何が必要かを冷静に考え行動できます。そして、必要に応じて専門家の支援を求めます。専門家の知識や技術、経験に敬意を払い、最終的には自身で考えやるべきことをしっかりやる。自身がやるべきことをやらない人ほど、相手に対する要求やお願いをしてくる傾向にあります。

 私自身職業小児科医ですが、結婚した方がいいとか子供を持った方がいいといった考えは実はなく、人それぞれでいいむしろ男女問わず自立することが最も大切なことだと思っています。私の友人達はみな経済的にも精神的にも自立しているので、支配や依存とは無縁です。そして、私の知識や技術や経験をプライベートで搾取することも一切ありません。いつでも認め合い、お互いの幸せを願える関係です。さて、お子さんが自立した大人になるためのサポート、2024年早速何からはじめましょうか。

自分の人生は自分で切り開いていく

2023年12月8日

自分の人生は自分で切り開いていく

第53号:2023年12月号

 小学校2年生のKちゃんは、夏休み明け後の給食の時間に突然泣き出してしまいました。夏休みに札幌の祖母と叔父・叔母の元へ一人で(ジュニアパイロットを利用して)遊びにいきました。叔父と叔母夫妻はとても仲が良く、まだ当時子どもがいなかったのでKちゃんのことをものすごく可愛がってくれました。一緒にテニスをして遊び、小樽にも連れて行ってくれて猫のガラス細工を買ってもらいました。楽しい時間が終わり、2学期が始まりました。Kちゃんの両親は共働きで常に忙しく、エンジニアの父親は出張にでかけると1-2週間帰ってきません。常勤で働いていた看護師の母親も、週1回は夜勤がありました。今でいうところのワンオペ育児でした。父の出張と母の夜勤が重なると、Kちゃんは小学校近くの知人のおばさん宅に預けられました。おばさんのお子さんたちはもう成人していて、すでに働いていました。泊まって翌朝小学校に登校しました。

 忙しい両親は次第にすれ違い、いつしか家の中で会話がほぼなくなっていました。たまに家族で食卓を囲んでも団欒はなく、Kちゃんは父親に話しかけ、母親に話しかけ、なんとか会話を繋ごうといつも必死でした。Kちゃんは一人娘だったので、自分が頑張らないとこの家族は成り立たないと常に緊張状態で、お家が休まる場所ではなくなってしまいました。そのうちKちゃんに異変が訪れます。人が何を言っているのかが気になってしょうがなくなります。「3日前お父さん何話していたの?」 学校でも学童でも電車の中でも、気になって気になっていちいち確かめたくなりました。お友達が学童で先生に話しかけていると、そのお友達が去った後先生のところへ行って、「〇〇ちゃんは今何って言っていた?」学童の先生はその都度優しくKちゃんに話しかけてくれました。母親がつとめていた病院の小児科の先生にも話を聞いてもらいました。

 3年生になり、同級生に髪の毛のない女の子Nちゃんがいました。その子の自宅はKちゃんの家と学校の間にあったので、Kちゃんは朝その子を誘って一緒に学校に行くようになりました。小児がんで抗がん剤治療をしていたから、髪の毛が抜けてしまったようです。担任のA先生は、ふさぎがちだったNちゃんを誘って学校に来てくれて嬉しいと、Kちゃんに表彰状をくれました。A先生は、子どもたちが素敵なことをすると、いつも表彰状をくれる優しい先生でした。

ある日Kちゃんがお友達の家に遊びに行くと、お友達のお母さんが塾で勉強すれば地元の中学ではない別の学校に行けることを教えてくれました。Kちゃんの地元の中学校は当時、校内暴力がひどくて校舎の窓がバリンバリンに割れていました。あそこの中学には行きたくないと思ったKちゃんは、帰ってから両親に頼んで、塾に行かせてもらうことにしました。塾では違う小学校に通うお友達もできて、切磋琢磨しながら3年間勉強して別の中学に無事合格しました。

 中学では軟式テニス部に所属して、部活に没頭しました。区大会で優勝し、私立リーグ団体戦でも優勝して卒業するときに学校からスポーツ賞をもらいました。両親はというと相変わらず忙しく、家の中で会話はありませんでしたが、Kちゃんも忙しくしていたので段々気にならなくなりました。腰を痛めてしまい、高校では部活を続けられませんでした。高校を卒業し、大学に進学し、仕事を始め、紆余曲折あり、今Kちゃんは自分の生まれ育った街とは別の街で、自分の名前のついたクリニックで小児科医として働いています。両親はKちゃんが大学生の時に別居し、卒業後に離婚しましたが、晩年は母親の病気をきっかけにまた一緒に暮らしていました。その両親ももうこの世にはいません。

両親に、育った環境に、いろいろ苦悩したこともたくさんあったけれど、大人になったKちゃんが今思うことは、自分の人生は誰のものでもないから、自分で切り開いていくものだということ。

境界線を意識してみる

2023年12月8日

境界線を意識してみる

第52号:2023年11月号

 職業柄、お子様の病気(病状)と日々向き合うのですが、病気だけではなくお子様自身や養育環境、とりまく状況などにも時には踏込むこともあります。治療が必要となっても、当然幼いお子さんにとってそれは親を始めとする養育者にケアしてもらう必要があります。風邪や胃腸炎等その時々で完結するものもあれば、私が専門とするアレルギーの病気(アトピー性皮膚炎や食物アレルギー、喘息等)は、長期的に継続してケアしていく必要があります。

 喘鳴を繰り返して、喘息治療が必要な旨をご説明しても納得してもらえなかったり、喘息治療を開始してもいつのまにか中断されてしまったりすると、われわれ医療従事者もさすがに堪えます。それはなによりお子さんのためにならず、特に喘息は呼吸不全となれば命に関わるからです。これまでクリニックからも、何十台と救急車で搬送しています。時に看護師が救急車に同乗して病院に向かうこともありました。以前は私も真剣になりすぎて、親御さんを責めるような口調となってしまい、結果何十倍の怒りとなって帰ってきたことも一度や二度ではありません。怒りの基本は押し返す力なので、これ以上踏込んで欲しくないという表現だと今は理解しています。

 そこで意識するようになったのが、境界線です。お子さんの病気や病状に誠意をもって向き合い、その時々で真剣に説明をするけれど、それを受け入れるかどうかは相手(親御さん)の自由であるということです。また、私の説明では納得できなくても、その後状況が変わることもあれば、別の先生で治療にうまくのることもあるだろうと考えるようになりました。そしてお子さんには本来、病気を良くしていこうとする力が備わっています。それは人生をよりよいものにしていこうとする力でもあります。

 この境界線を意識することは、自分自身を意識することにも繋がります。相手の境界線を越えて踏込み過ぎないようにすることは、相手にも自分の境界線を越えて踏込まれないようにすることが大切だとわかるからです。親子・夫婦・親戚・友人・仕事関係これは全ての人間関係に言えることだと思います。

大切な人間関係こそ境界線を意識して、相手の人生は相手のもの、自分の人生は自分のものとお互いに尊重していきたいものです。

時薬(ときくすり)

2023年10月20日

時薬(ときぐすり)

第51号:2023年10月号

 水難事故から身を守る理想的な方法は、もちろんあらかじめ救命胴衣をつけておくことですが、つけていない状態で水に落ちた時でも着衣のままあおむけになって浮かぶ「背浮き」という方法があり、長時間浮き続けてそのまま岸にたどり着く、または流れているうちに救助される可能性が高くなります。溺れているのに無理にもがけばもがくほど深みにはまってしまいます。

 我々の日常でも、なにか大きなトラブルが起きてそのことで心が深く傷つき、自信がもてなくなってしまった時はどうでしょうか。焦ってすぐに解決しようとすればするほど、事態がかえって悪化してしまうということがよくあります。人間関係・親子関係においても同様で、もめ事が起きたときに感情的になっていいことは一つもありません。冷静になりどのように対処するかを考える時間が必要です。

時薬(ときぐすり)という言葉があります。どんなに大変な困難を抱えても、時間が薬となって解決してくれるという意味です。慌てなくても時の流れが、自然に心の傷を癒してまた自信を取り戻し、関係性を見直す機会を与えてくれるのです。後から考えてみると、あの時もがかずに背浮きのように漂流したことで、いい流れになってきた、流れに身を任せてよかったと思えるものです。

また不安や焦りで心が苦しいと感じている時は、「〇〇でなければならない」という執着が強く働いているサインです。「○○もある」「○○でもいい」「○○でだめなら、△△にしてみる」等、自身を苦しめている執着を一旦捨ててみてはいかがでしょうか。さらに相手に対して、必要以上に期待しすぎていませんか。信頼できる人に苦しい胸の内を話してみると、自身の執着に気が付くこともあります。たとえ親子であっても、一方的に価値観を押し付けていいわけはありません。今すぐにはどうにもならないことであれば、深く考えすぎず目の前のやるべきことやりたいことに集中して、日々淡々と暮らしてみる。

秋の夜長、好きなことをしながら時薬が効いてくるのをじっくりゆっくり待ちましょう。

登園の目安

2023年9月22日

登園の目安

第50号:2023年09月号

 発熱を含め他症状があって受診した際に、「いつから登園できますか?」と聞かれことがよくあります。この答えは「今は何とも言えません」です。われわれは、お子さんを診察して必要に応じて検査をし、今日の診たてやこの後数日で予測される経過をご説明しています。月齢にもよりますが、特に乳児や幼児期早期のお子さんの病状は刻々と変化するので、そのまま良くなることもあれば急激に悪化することもあります。少なくとも受診後2-3日はご自宅で療養し、登園の目安について悩ましければ受診していただくことが望ましいと思います。

 ただ、保育園児の親御さんは働いています。3日も休めないという状況もあるでしょう。私は9園の園医をしています。年2回健診に伺うのですが、今年の5-6月はどの園もここは病児保育室?と疑うほど、ぜいぜいしているお子さんがたくさんいらっしゃいました。特に0歳、1歳児クラスでその傾向が強く、園の保育士さんや看護師さん(常駐している園もある)から「熱が下がると、すぐに預けていかれます。」という嘆きをお聞きしました。園に預ける目安=熱がないことでは残念ながらありません。この点は、われわれ小児に関わる医療従事者や保育関係者と親御さんにやや解離があると感じています。特に0歳1歳は苦しい症状を自ら伝えられないため、診察することでわれわれがそれを代弁しているつもりです。時には、「こんなに苦しい咳をしている間は、たとえ熱が下がっていても、もう少し自宅で療養しましょう。」とアドバイスすると仕事は責任があるため、みなさん残念そうなお顔をなさいます。

 いつになったら?何歳になったら?この状況から脱せられるのかと思い悩むこともあると思いすが、2歳半~3歳くらいから驚くほど熱も出さなくなり、感染して症状がでることも少なくなります。それでも感染症には流行期があり、登園していると残念ながら度々もらってしまいます。働く親御さんの置かれている状況は(私も経験しているので)十分理解できますが、われわれはあくまでもお子さんファーストで療養していただけるように、引き続き診断してご説明していくつもりです。

どんなに責任のある立場でも仕事の変わりはいます。でもお子さんの親の変

わりはいません。たとえ疎まれながらも、「登園は無理しないように・・・。」と今日もこれからも言い続けます。

気管支喘息について考える

2023年8月29日

気管支喘息について考えてみる

第49号:2023年8月号

 気管支喘息(喘息)治療薬が長期間処方されているにも関わらず、「喘息」とはいわれていませんとおっしゃる親御さんは大変多くいらっしゃいます。また、風邪をひいて医療機関を受診した際に、ゼイゼイしていると何度か指摘されて吸入しても、その都度さまざまな医療機関を受診していたため、結果的になかなか治らず保育園を辞めてお母様も仕事を辞めたというお話を先日伺いました。今年はすでに例年にも増して、喘息の診断をして治療を開始したお子さんが多数いらっしゃいました。

 日本アレルギー学会のHPに一般の皆様へというサイトがあります。そちらには、アレルギーの病気に関してわかりやすく記載されていますので、併せてご参照頂ければと思います。喘息は、ゼイゼイ、ヒューヒューという喘鳴(ぜんめい)と呼吸困難(呼吸が苦しい感じ)を繰り返す病気です。この繰り返すというのがポイントです。ウイルス(RSウイルスやヒトメタニューもウイルス等)の種類によっては、気管支炎を起こしてぜいぜいしてしまうこともあります。ところが、風邪をひく度に毎回ぜいぜいしてしまうお子さんの場合は、ご本人の体質的に気道(空気の通り道:鼻と口・喉・気管・気管支・肺)が狭くなりやすく、ウイルスだけではなく運動や冷たい空気、花火の煙等でも刺激されます。アレルギー検査や呼吸機能の検査は、診断の参考にはなりますが、いくつかのタイプがあるので、喘息とはっきり診断できる特定の検査があるわけではないというのが、とても難しいところです。特に乳幼児は、自分で苦しい症状を伝えることができないため、親御さんもお子さんの苦しさに気がつかないということも実際にはよくあります。

 喘息の治療には、まさにいまの苦しい症状を楽にする治療、常に起こっている気道の炎症を改善する治療があります。症状が落ち着くと一見治ったように感じますが、この気道の炎症はずっと続いているため繰り返します。定期的に(症状が落ち着いているように見えるときでも)吸入ステロイド薬や抗アレルギー薬を内服することによって、治療することができます。小児喘息は5%(20人に一人)と決して珍しい病気ではありませんが、治療薬の開発が進み入院するようなお子さんの数は劇的に減少しました。是非、アレルギー専門医とアレルギー専門資格を持った看護師にご相談ください。

自分流をみつける

2023年7月3日

自分流をみつける

第48号:2023年7月号

 この春に中学に入学したばかりの女の子が、先日中間テストが終わって結構できたつもりだったけど、自分よりできる子がたくさんいて驚いたと話してくれました。そして最後に、「理科や社会は覚えることが多過ぎる。カモノハシって卵産むのに哺乳類って。もう私才能ないよ。」と嘆いていました。内心、カモノハシ覚えるのに才能必要かな(笑)と思ってしまいましたが。

 私は理系なので、地理は(理科にもつながるので)好きなのですが、正直歴史が苦手です。それでも社会の問題集(720問)を娘と毎週水曜日に50問ずつ対決して、4か月くらいかけて先月やっと1冊終わりました。最初の地理はまだ良かったのですが、日本の歴史なんて30年振りくらいに勉強したので大変苦労し

ました。漢字で正確に書かないと正解にはならないので、やる気になるような猫イラスのノートを購入して、何度も練習しました。どうしても覚えられない年号や人物の名前、建物の名前、事件は自分なりにおぼえやすい語呂合わせを考えたり、物語を作ったりしました。あまりにくだらなくて、娘の失笑をかうこともしばしば。そして最後まで覚えられないものは、対決の直前までぶつぶつ言いながら書きました。

この「自分なり」というところが大切なのです。人には、何かに例えると覚えられたりや理解しやすいものが必ずあるはずです。スポーツが好きであれば、歴史上の人物をスポーツ選手に例えてもいいし、戦いを名勝負に置き換えてもいいのです。もちろん推しのアイドルでもいい。また見る、読む、口に出す、書く、それらの組み合わせ等で定着しやすい方法を早くみつけると、才能を嘆く必要なんてないのです。もちろんそれを仕事にするレベルにもっていくとなると、さらなる努力が必要ですが。

私の場合、しんどい時は次に奈良や京都を旅行する機会があったら、今回覚えた歴史が生かされてきっと楽しいだろうなと古都を想像しながら乗り切りました。そういうご褒美を先に考えて取り組んでもよいかもしれません。

みなさんも是非、早いうちに自分流をみつけてください。ちなみに変な語呂合わせの中身は秘密です。対決の結末も、、、。

猫のいる暮らし

2023年7月3日

猫のいる暮らし

第47号:2023年6月号

 ちょうど1年前、医師になって3年目から19年共に暮らした猫が亡くなりました。老衰と腎不全でした。19歳と長生きしてくれて、ずっと寄り添ってくれたので感謝の気持ちでいっぱいでした。4年前の夏には、多発性嚢胞腎(人間でもあり遺伝する)という腎臓の病気で11歳の猫も亡くなりました。しばらく猫と暮らすのはいいかなと喪に服していたのですが、この度生後4か月の仔猫を我が家に迎えることになりました。生まれた時に、すでに3歳と8歳で成猫しか知らなかった娘は、初仔猫に大喜びです。

 私は、3歳から横浜市緑区で育ちました。文字通り緑が多く、みなさんのイメージする港横浜とは違う雰囲気の街です。そして3歳からずっと猫を飼っていました。歴代の家猫は3代、2代目はこれまた20年以上生きました。さらに家の庭では、遊びにくる何匹もの猫たちを手懐けていました。勝手に名前をつけては、仲良くしていました。大抵は明るいうちにやってくるのですが、夜中にお庭を通り過ぎていくからおやっと思って覗いてみると、たぬきだったということもありました。それくらい、自然豊かな場所でした。私の両親はすでに他界しているのですが、実家跡地には若いご夫婦が家を建てて住んでいらっしゃいます。もうさすがに庭にたぬきは来ないと思いますが。

 調べてみると、猫と人間の歴史は古く約9500年前にさかのぼります。キプロス島の遺跡から人間と一緒に埋葬されたと考えられる猫の骨が、2004年に発見されました。その頃の猫は、人間が栽培する穀物を狙ってやってくるネズミを狩ってくれるありがたい存在であり、お互いにじゃまをしないという共存関係からスタートしたようです。確実にペットとして可愛がられていたのはおよそ4000年前の古代エジプトから、人間は猫をとても大切にして神聖視していたと。

 猫がゴロゴロ喉をならす音が、波の音かそれ以上に心地よいと感じてしまいます。きっと遺伝子レベルで猫好きが組み込まれているのではないかと、古代エジプトに思いを馳せながら、猫との生活を楽しむ今日この頃です。

 猫のいる暮らしは、生活が豊かになります。

 

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